2007年(平成19年)9月10日号

No.371

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安全地帯(190)

信濃 太郎

井上ひさしの「ロマンス」を見る。

 作・井上ひさし、演出・栗山民也、こまつ座&シス・カンパニー公演の「ロマンス」を見る(9月4日・世田谷パブリックシアター)。大竹しのぶ、松たか子が出演するというので切符が取り難かったと知人が嘆いていた。俳優6人がそれぞれ何役もこなして演じた舞台はこれまでの井上さんのお芝居と違った味わいを見せた。
チェーホフの少年時代を井上芳雄、青年時代を生瀬勝久、壮年時代を段田安則。晩年時代を木場勝己がそれぞれこなす。女優オリガ・クニッベルに大竹しのぶ。チェーホフの妹マリヤ・チェーホワに松たか子。チェーホフは1804年南ロシアのタガンローグという港町に生まれる。イタリア・オペラ、劇場、サーカスゴヤのある文化的な町であった。チェーホフは影響を受ける。父親は食料雑貨店を経営、チェーホフが16歳の時、破産して一家はモスクワに夜逃げする。2場「冬の夜」ではこのような貧しい店にも強盗(生瀬)が入る。偶然やってきた警察署長(段田)、売り上げを何とか取り返そうとするチェーホフの父親(木場)などコミカルな言葉が交わされる。各自の変身ぶりが見もの。チェーホフは中学卒業まで郷里に残り家庭教師をやりながら自活する。19歳でモスクワ大学の医学部に入学する。4場「卒業試験」では青年チェーホフは難問を次から次へと答えて助教授(段田)の口添えもあって眠りこけているばかりの教授(木場)を説得して合格を果たす。チェーホフは立派な医者で「来る患者は拒まずだれでも診察し、薬を出ししかも無料」であった。だから毎日空が白むころ患者たちが行列を作ったという。こんな医者は現代では少なくなった。5場「3粒の丸薬」大竹が老婆役で達者な芝居を見せる。この芝居の見せ場の一つかもしれない。口の動かし方が絶妙である。ここの先生に頂いた丸薬を呑んでリューマチがすっかり治ったと喜んで見せるのだが、実は飲んだはずの丸薬が三つがそのまま出てくるという落ちがつく。「名医とは薬で治すのでなく心を直すのである」。20歳で小品、短編を発表する。24歳で既にユーモア短編小説を出版する。27歳で喜劇「イワーノフ」を執筆、初演する。マリアは「チェーホフの噂」(オープニング曲)で「あなたがさって/時がたった/けれど四つの芝居は/今も大流行」と歌う。チェーホフは1904年7月44歳で永眠。今年で102年目を迎える。モスクワ芸術座の「桜の園」「三人姉妹」「ワーニャ伯父さん」「かもめ」などはチェーホフの作品であるばかりでなく日本の新劇の教科書であった。
マリアは最後まで看護助手、薬剤師、家政婦、マネージャーとして兄の面倒を見る。親友の女優、オリガが兄と結婚するのを恐れていたが、二人はこっそり結婚する。二人の往復書簡をみる限る愛情に満ち溢れている。オリガは1959年(昭和34年)91歳で死去する。その墓はモスクワのノヴォジェーヴィチ修道院にあるチェーホフの墓の隣にある。
井上ひさしは劇中チェーホフの「かもめ」のニーナのせりふを患者の老婆が口にする。オリガにも「カモメ」のアルカージナの台詞が飛び出す。チェーホフの魅力がいっぱいのお芝居である。井上さんは「どんな時でも希望を持つこと」とチェーホフが愛した机をリホヴォ村の住居で見たときそう聞こえたという。栗山民也さんは「人間に対しての真実を描ければ必ず何かが見えてくるはずです」という。お芝居は観客におのずとさまざなことを教え込む。すごいと思う。

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