2007年(平成19年)8月20日号

No.369

銀座一丁目新聞

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追悼録(285)

特攻について思う

  日系2世アメリカ人監督リサ・モリモト監督、ドキューメンタリー映画「TOKKO 特攻」を見る(8月13日・渋谷シネ・ラ・セット)。海外では、特攻を「カミカゼ」なる狂信的な行動の象徴と捉えれているが、果たしてそうなのか、4人の元特攻隊員とのインタービューをし、太平洋戦争全体を垣間見ながら追及する。モリモト監督はなくなった叔父が特攻の生き残りと知らなかった。温厚な叔父は生前、特攻については何も語らなかった。その落差の大きさが映画化のスタートである。
 インタービューを受けた4人の元特攻隊員たちは戦後生き残ったことに後ろめたさを感じながら祖国の再建に尽くす。その話は何れも感動的である。江名武彦さん(予備学生14期、偵察、百里基地)は食品メーカーに就職、大豆輸入の仕事で何度も訪米 。浜園重義さん(丙種飛行予科練11期、操縦、百里基地)。警察予備隊海上自衛隊1等海尉で退職。中島一雄さん(乙種飛行予科練18期、偵察、百里基地)。警察予備隊空海上自衛隊準海尉まで昇進、その後工場勤務 。ここで予科練似ついて触れる。予科練には乙飛、甲飛、乙飛(特)この他一般海軍から選抜されて入隊した丙飛があった。上島武雄さん(予備学生14期、操縦、百里基地) 。進駐してきた米兵から英語を学び、ヨーロッパからオーディオ機器を輸入、成功する。
 それぞれに貴重な体験をする。江名さんはエンジン不調で特攻に2度も失敗。2度目の時は日本本土から75キロはなれた黒島沖に不時着陸、島民からもらったイモで生き延びる。これからは戦争に反対すると誓う。浜園さんは後部座席に中嶋さんを乗せて特攻に出撃中米コルセア戦闘機と遭遇、35分間の空中戦の後、林に墜落、重傷を負うも命を取り留める。浜園さんは米軍の戦闘機のパイロットが武士の情けでオンボロの浜園機を見逃したのだと思い、いまでもそのパイロットに合いたいと願っている。
 大西瀧治郎海軍中将が「特攻は外道なり」と言ってように、戦争の末期日本の海軍にはこれ以外の作戦はなかった。特攻の戦果はわずかであった。4000機の特攻が撃沈・損害を与えて米艦船は54隻に過ぎない。多くの特攻機は 目標にたどり着くまでに敵の戦闘機や艦船からの対空高射砲の弾幕によって撃墜された。1945年5月28日特攻機によって撃沈された米軍駆逐艦「ドレックスラー号〕の生き残りの乗組員が「俺達は生きる為に戦っているのに奴等は死ぬ為に戦っている」という言葉は印象的であった。当時の日本軍人の心境を言い当てている。
 日本人が狂信的ではない。国の為、家族の為命ぜられるままに死についた。もちろん死にたくないと苦悩した者もいた。無駄死にと思ったものもいる。勝つか負けるかの戦争はこういうものである。だから戦争は避けるべきである。日本が防衛省を持っても、憲法改正しても第九条の精神は生かしていかねばならない 。この映画は「戦争の愚かさ」をはっきりと教えている。

(柳 路夫)

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