1月27日(旧暦12月9日)金曜日 降りつ降らずみ
血圧が一五〇いくつとかで、頭をぐっと上げられたついでに書く用意をしてもらう。姿勢替えは勿論ナースと寮母さん。
血圧の件は責任ある立場の介護士さんの感情あらわな対応と、昨午後の入浴担当が特浴者・私には初お目見えの男性介護士さんだといわれたことによる。
それを告げる彼女の急か急かとした声……洗髪予定だが、クシャミが立て続けにでる私は、止しておくほうがいいかなと思案した。
男性介護士さんは夜勤もしている人だから、入浴担当といわれたからとて別に驚くことでもないが、瞬間「ぎょっ」の感じだった。
彼は「私でいいか」と訊ねに来た。正直な人物が好感される。初めての入浴介護ゆえ彼のほうが心配だったのかもしれない。
「耳に栓(?)が必要かな」
当って砕けろよ、私よ!
彼自身の仕事は親切で、洗髪も実に要を得て満足だったのだが、役割分担そのものに責任ある立場の介護士さんの七変化の悪意をまざまざと見たのである。
血圧はこうも感情の鏡となるものか。自分自身を超えて常住不断のこころを保つむつかしさ、ぶち当たって困惑の態を時々刻々みつめる破目に陥っている。
今日は気持ちが暗い。
のど飴を口中にふふませて貰おうとすれば、小袋から指でつまみ出して放りこむ。介護の初心者ならともかく、と私は思う。いや初心者でも殆ど心得ているのに、彼女は成す。思いを重ねて又かさねて、血圧は一六〇近くにも!?
低血圧の血統のはずが、心象の不安はこうも影響するのだろうか。
私はその飴は捨てて別の一個に替えてもらったのだが、彼女曰く「汚いなんて」と目を剥いた。「言ってませんよ」と私。彼女は黙ったが形相たるや悪鬼さながら。これが私の邪見でも誤解によるものでもないことは、何と寂しい実情だろう。形相の凄じさに、背筋に悪寒がさ奔った。自らの心ひとつに拠るものと観じても屈伏できない。
彼女は責任ある立場の一人。指導者の常態がこうだと、困るのは受け手の私。一事が万事とはいわないまでも、危さは免れない。内なる感情をなだめようと、私は目裏の悪意と狡意こもごものまなざしを褪そうと×を描く。効力なし。閉口閉口。上司に相談を? とも思うが……いやいや、ならぬ堪忍なすが堪忍は天の岩戸! 天鈿女命(あめのうずめのみこと)よ、あけさせ給え!
永寿園も与えられている部屋も大好き、大感謝の日々なのに……人生ややこしい。小心びくびくの臆病者は困ったものだが、これが現びと私だから詮方なし。三十二の頃リュウマチ発病が不治永患と知り、死が憧憬となり切望となったが、天の容るるところとならず存えて八十プラス三の媼……。
ああ、それにしても昨日の入浴。彼にとって初めての私だが、洗髪も上手なのに愕く。悪意の上司の志は成就しなかったのだから、天われを嘉したまえ。
係長さんのお顔がブザーに応えて現れ、大安心!!
寒波襲来と、予報は北部九州も五センチほどの積雪を告げている。楽しみだなあ。
記憶のなかの積雪は庭に外界に鮮明だが、さて予報どおりとなれば降る雪も積もる雪もたのしみよ。
1月30日(旧暦12月12日)火曜日 快晴
「裏を見せ表をみせて散る紅葉」は芭蕉だったろうか。巧い。真実の直視よ。昨日の入浴時、保身ゆえのあからさまをあらわにした介護士のお二人。こうもぬけぬけとやられると驚愕をとおり越す「大寒や人の底ひは卑なりけり」と心中をさ奔った。
浴室入口で酸素ボンベイを置いたために、いきなり私は呼吸困難、大騒動となったのだが。浴室に入れましたよねと糊塗するのだ。
私が事の大きさに動顛して事実を認識していなかった、となしたのだ。
事実を事実として、しかと己に刻もうとしない狡さ猾さ、私にとって酸素補給が生命維持のためには必要不可欠であることを知ればいいわけだ。
卑を見るのは厭、卑を見るのは実に寂しい。
私自身に、その厭な記憶が甦った。西田悦史さんにだ。和明さんや保宏さんたちと同級だから、お元気なはず。あれは明らかに教師私の犯した罪、お詫びしなければならぬ。
他者の卑を見たゆえに自分自身の行為を思い出すことになった。
よかった、本当によかった。和子さんと桂子さんが春、筍の頃には来てくれるかも知れないから、悦史さんの来室をたのんでみよう。
お詫びできることは恩寵だ。生きていることの慶びである。伏して伏してお詫びせねばならぬ。
「正直の頭に神宿る」は母の好きな言葉であった。母の父、善三の惻隠の情を併せて思い出す。私と同級生のミカノさんは、私にお詫びせねばならぬ思い出を抱えているという。私は悦史さんに持つ。
酸素常時の欠くべからざるわが身……酸素ボンベイを浴室の外においての私の搬入、とたんの呼吸困難、それは過ちとして自認してくれれば私に文句はない。彼女たちが糊塗しようとしナースに役目を押しつけようとした魂胆の卑に我慢ならなかったのだ。
が、天は私を嘉したもうた。私に杳くなっていた卑を思い出させて下さったのである。「因果はめぐる小車の……」を暗さではなく、恩寵よと思い出している。明るい慚愧を目の前にアップしてもらったからよ。まだまだ慚愧すべきことはあるはず、思い出さないだけであろう。ミカノさんは私に、私は悦史さんに、乙羽さんはお母さまにと、世々生々の世の中には東西南北を問わずワンサワンサとあるだろう。
何じゃらほいさっさよと、微苦笑のペン。永寿園に身を寄せて八年、この広い部屋を与えられていることは幾度くり返そうと飽くことない、いや増される謝念よ! この喜びは篤い。
今日も佳き日であった。自らの非を非とみとめ得なかった人を憐みつつ、もの言わずいる人たちに胸疼かせつつ口漏らさず、ときに思い出して憤慨しつつ、涯はわが身にかえってくることではある。
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