2007年(平成19年)2月10号

No.350

銀座一丁目新聞

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茶説

「期待権」は報道の自由になじまない

牧念人 悠々

 「報道の自由」に取材協力者の「期待権」なる奇妙な権利がとりつき始めた。これは問題である。たしかに新聞記事・番組は取材協力者・記事の材料提供者なくては成立しない。近年、紙面を充実するため「開かれた新聞」を標榜、「新聞のよって立つ基盤が広範な読者国民の信頼と協力にある」として読者に紙面参加を積極的に求めている(毎日新聞編集綱領)。それは読者の「知る権利」に答えるもので、取材協力者のいうことを総て取り入れることではない。「期待権」とは程遠い。「期待権」を強力に推せば「報道の自由」の侵害の恐れが出てくる。取材協力者からの材料で記事や番組を制作するのは編集者であり、プロデューサーである。現場で取材協力者といろいろ話し合いがあったとしても、その協力の意向・話したことがそのまま新聞に掲載され、放映されてることはない。事実誤認、誹謗、中傷がないよう配慮して、新聞社・テレビ会社が「編集」するからである。これが「編集権」である。編集権といっても絶対のものではない。それなりの制約がある。
 新聞倫理綱領は報道、評論の自由に対して新聞はみずからの節制により次のような限界を設けている。イ、報道の原則は事件の真相を正確忠実に伝えることである。ロ、ニュース報道には絶対に記者個人の異見を差し挟んではいけない。ハ、ニュースの取り扱いに当たっては、それが何者かの宣伝に利用されぬよう厳に警戒されねばならない。ニ、人に関する批評は、その人の面前に置いて直接語りうる限度にとどむべきである。。ホ、故意に真実から離れようとする偏った評論は新聞道に反することを知るべきである。
 放送もまた「何人からも干渉されまたは規律される事がない」として次のような規制を設けている(放送法第3条2)。1、公安及び善良な風俗を害しないこと2、政治的に公平であること3、報道は事実をまげないですること4、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
 今回のNHKのテレビ番組について検証してみる。東京高裁は取材対象者の「期待権」を持ち出してNHKのテレビ番組について原告の訴えを認める判決を下した(1月29日)。問題の番組は2001年1月30日NHK教育テレビで放送された「問われる戦時性暴力」。この番組は2000年12月、東京・九段会館で開いた「女性国際戦犯法廷」が素材に企画されている。この素材の「女性国際戦時法廷」が仕組まれたものであった。被告は昭和天皇、日本国民、日本国民である。検事役は北朝鮮の対日世論工作員である。弁護士役はいない。裁判は一方的で判決は「天皇は性犯罪と性奴隷制度の責任により有罪」というものであった。これは明らかに日本を貶める工作である。「新聞倫理綱領」(ハ)(ニ)、放送法3条2の2、3、4に該当するもので、私ならこの企画を没にする。もしこれを番組にするというなら補強取材をせねばならない。公平な第三者に反論させねばならない。色々な角度から論じなければならない。とりわけ昭和天皇を被告の座に据えて裁くのであれば公共機関のNHKとしては慎重な配慮を必要とする。高裁判決にいう「国会議員などの発言を必要以上に受けて、その意図を忖度」するどころではない。NHKが取材対象者に「番組提案票」を示して「女性国際戦犯法廷の過程をつぶさに追い、戦時性暴力が世界の専門家に裁かれるのかを見届ける」と記載したとしても、その「女性国際戦犯法廷」の実態が意図的な対日悪宣伝だとすれば、NHKが番組を改編するのは当然であるし、むしろ積極的に手を加えるべき番組内容であった。裁判所が「「編集権をみずから放棄したに等しい」と述ベているのはむしろ逆である。NHKは編集権を行使したまでだ。編集者として当然の行為である。取材対象者と約束したとはいえ、その内容が著しく天皇と日本を侮蔑するものである以上拒否するのが妥当である。
 上記の状況にもかかわらず、裁判長は「取材者の言動などにより期待を抱くやむをえない特段の事情がある場合、編集の自由は一定の制約を受け、取材対象者の番組内容に対する期待と信頼は法的保護に値する」との判断を示した。だが、「特段の事情」があっても「意図的対日悪宣伝」と判断される場合、「番組内容に対する期待と信頼は法的保護に価しない」というべきある。ともかく、新聞・放送は取材対象者の言うことを一方的に記事(番組)にするわけにはいかない。内部で記事を書き直したり、削ったりする。番組も改編するのは日常当たり前である。言う通りにせよというならお金を負担して「意見広告」にしてもらうほかない。この「女性国際戦犯法廷」の意見が「意見広告」として掲載されるのは「広告倫理綱領」から見て無理だと考える。東京高裁は実態を知らなすぎる。原告の「期待」と「信頼」を裏切ったとしても素材そのものが問題であれば、改編は当然な行為であり、裏切ったNHKが「編集権」を守ったことになる。テレビは新聞報道と違ってえてして「絵」(画像)になるものを求めすぎる。「女性国際戦犯法廷」、絵になると飛びつく前によくその内容を調べる準備作業を怠ると大きな罠に落ち込むことになる。今回の番組が落とした波紋は大きい。

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