即席ラーメンの父、安藤百福さんが「不二家」の賞味期限切れの牛乳でシュークリームを造るなどの食品の不祥事を知ったらどう思うであろうか。「正確、正直、正義」をモットーとした安藤さんは業界に先駆けて昭和40年即席めんに製造年月日を表示した。「生産されてから消費者の手に渡る長い期間どこかで置き忘れられ、美味しい期間過ぎて偏在することもある」と考えたからである。これがきっかけで加工食品全般に表示が制度化された。世界で始めての試みであった。今から41年前に安藤さんのような人を出した日本なのに「不二家」の事件は残念である。
安藤さんは単なる事業家ではなかった。常に消費者のことを頭に入れていた。だからこそ、1月5日96歳でこの世をさった安藤さんに対して米紙「ニューヨークタイムズ」までが社説で取り上げ「世界中の1億人が毎日食べ、昨年カップヌードルは250億食に達した」とその業績を賞賛した。
若くして両親と死に別れ、商売人の祖父母に育てられたとはいえ安藤さんの商才は抜群である。「時代を読むヒントは、日常生活の何処にもある。ありふれたもの、出来事ののなかに、世の中を変えるてしまうような知恵が隠されている」「時代が求めていることを読み取れば、どんな時代にも研究し、開発し、事業化するネタはいたるところに転がっている」という(「安藤百福語録」ソニーマガジンズ)。これはニュース取材と同じである。新聞のねたは何処にも落ちている。それを気がつく記者とそうでない記者がいる。雑談や会見を聞いていても「これは記事になる」と思い、追加取材して記事にしてしまう記者がいる。私は新聞の世界のことはわかるが、「これが商売のねたになる」というのがなかなか気がつかない。お金と縁のない新聞記者と商売人との違いであろうか。
即席めん「チキンラーメン」を発売したのは昭和33年8月25日である。安藤さん48歳の時である。開発には年齢とは関係ないのを知る。始めは流通関係者には評判はよくなかった。だが消費者の好みに合って消費者の声に押されて問屋が突き上げられて自然に販売ルートができていったという。『
1袋35円、熱湯をかけて2分後に食べられるのが受けて爆発的に人気に。以後、エスビー食品・明星食品などが参入、昭和36年には東洋食品が「タヌキソバ」サンヨー食品が「長崎タンメン」を発表』と他社が追従した(「昭和家庭史年表」家庭綜合研究会編)。世界の食文化に大きな影響を与えた即席めんは2005年には宇宙食「ラーメン」まで開発された。『人類の進歩のパンテオン(古代ローマの神々を祭った神殿)に永遠の場所を占めた』(「ニューヨークタイムズ」紙社説)という安藤さんへの賛辞はけして言い過ぎではない。
(柳 路夫) |