2007年(平成19年)1月20号

No.348

銀座一丁目新聞

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花ある風景(263)

並木 徹

唄や踊りに人は何故お金を払うのか

 前進座の「出雲の阿国」(原作・有吉佐和子、脚色・津上忠、演出・鈴木龍男)を見る(1月10日・吉祥寺・前進座劇場)。このお芝居は二度目である。前回と印象が全く異なる。阿国(妻倉和子)と伝助(山崎辰之助)の呼吸がよくあっていた。演技の「間」と「いき」が見事であった。
 阿国は伝助に問う。伝助は阿国に答える。
 「私らの唄や踊りになんで人は銭をはらうのであろう」
 「心楽しむゆえであろう。美しいもの、面白いもの、おかしいものは、よいものじゃ」
 「美しいものはよいものかえ」「そうじゃとも」
 「面白いものはよいものかえ」「そうじゃとも」
 「おかしいものはよいものかえ」「そうじゃとも」
 「それで銭をはらうのか。それなれば、その後にはには何が残るかえ」
 「何がとは何のことじゃ」
 「唄うたあと、踊ったあと、唄聞いたあと、踊り見たあとに何が残るかと問うているのじゃ」
 「楽しんだ心が残る」「心が残ろうか」
 「残るとも。残らいでか。銭では買えぬほどの物が残ることもあるわ」
 「銭では買えぬほどのものがえ」「そうじゃとも」
 阿国には孫娘を取り戻しにきた守口のお婆(田中世津子)の言葉が痛いほど耳に残っていた。お婆は口答えする孫娘を叱った。「唄ったり踊ったりして何が育つか。何が稔るか。誰の腹がくちくなるか。田畑は考えてみろ、土というものはありががたいものぞ。種をまいて水をやれば、必ず芽が出て育つわ。花が咲いて稔るわ。米でも麦でも、稗でも粟でも植えれば育って、借り入れたあとは人間様を肥やすのじゃ・・・・唄や踊りで銭取るのは傾いた女のすることじゃ。傾いた女たちは土を離れた根無し草よ。畑から引き抜かれた青葉はのう、町で売り歩いている間にも見る間に萎れていくものぞ」
 この言葉は現代でも通用する。テレビの愚にもつかない「バラエティショウー」の氾濫をお婆は同じ言葉を口汚く繰り返すであろう。日本の農業の就業人口565万人(1990年)、2020年には200万人になると予想されている。
 阿国は最後は出雲に帰り、たたらの長、田部庄米兵衛(松浦豊和)の前で天下一の歌舞伎踊りを舞う。斐伊川の洪水のもとになるたたらの砂止め工事を願い出て故郷の人々の災難を救い、山で死ぬ。これがお婆の罵倒に対する阿国の答えであった。テレビ界よ、早く答えを出したらどうか。

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