外務省機密漏洩事件などに携わった弁護士で最高裁判事を務めた大野正男さんがなくなった(10月28日・享年79歳)。月刊「文芸春秋」に連載中の小説、山崎豊子の「運命の人」には「大野木正」で登場する。同誌11月号には「父は大蔵省銀行局特別銀行課長の時、政官財を揺るがせた帝人事件で、収賄罪にとわれ、罪を否認し続けたところから偽証罪まで加算され、正が小学校1年の時から3年半、未決拘留されていた。母は子どもたちに旅行に出かけているとだけ告げたが、そんな幼いころから新聞を読んでいた早熟な正は、事件の内容をおぼろげながら知っていた」とある。一高、東大と進んだ大野さんが弁護士を選らんだのは無実で逮捕された父への想いからである。
大野弁護士と知り合ったのは新聞協会の「法制研究会」の会合であった。この会は新聞の現場で起きる様々な問題を法律の専門家が外国の裁判例、現行法の上でどのように判断するか忌憚のない意見を交わすのであった。メンバーが凄い。東大法学部長、伊藤正己、立教法学部教授、田宮裕、一橋大学助教授、堀部政男、東大新聞研究所教授、伊藤慎一、弁護士、大野正男、弁護士、山川洋一郎(「運命の人」には山谷弁護士で登場する)。新聞側は朝日、毎日、読売から社会部長・論説委員らが出席した。月一回の研究会は固苦しさはなく、楽しかった(昭和45年4月から昭和47年3月まで24回)。私にはよい勉強になった。「ウォーレン・コート」に興味を持ち「デュープロセス」を知ったのはこのころである。伊藤慎一さんが東大新聞研究所の所長になられた時、毎日新聞の役員をしていたが、新研の非常勤講師として半年間、学生たちに講義する機会を持った。
「外務省機密漏洩事件」で伊達秋雄さん、高木一さんらとともに大野さん、山川さんが毎日新聞側の弁護人になられたのは「報道の自由」「名誉毀損」などの分野で高い見識を持っておられるだけに当然であった。大野さんを偲ぶに当たって二審での大野弁護人の弁論を書き留めておきたい。
「世界的にも国内的にも、幾度か政府機密がプレスによってすっぱ抜かれ、報道されたが、秘密保護法規がを有する国にいおいてさえ、未だその取材自体が処罰の対象とされた例を聞かない」
「(秘密電信文)によって、政府の対米密約の存在が明瞭な事実であり、国民を欺瞞するための(秘密)は不正・不当秘密であって、刑事罰による保護の対象にはならない」(澤地久枝著「密約」より)。事件から30年立った今、密約についてはアメリカの外交公文書公開によりその存在が明らかなとなり、さらに元外務省アメリカ局長吉岡文六さんが「密約」を肯定していることから当時の大野弁論が正しく的を射たものであるかがわかる。大野さんの言葉として「国家機密をすっぱ抜くのはなまなかな手段では駄目なんですね」が未だに印象に残る。
(柳 路夫) |