2006年(平成18年)11月1日号

No.340

銀座一丁目新聞

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安全地帯(160)

信濃 太郎

ドキュメンタリー映画「終わりよければすべてよし」

 羽田澄子監督のドキュメンタリー映画「終わりよければすべてよし」を見る(10月26日・東京ウイメンズプラザ)。人生の終末期のケアをテーマにしたこの映画は高齢化社会の今、身につまされる。「死」とどう向き合うか己に問う映画である。羽田監督が数年前から温めていたテーマだそうだが、今年の3月、富山県射水市の射水市民病院で人工呼吸器を故意にはずし末期患者が7人死亡した事件から早く映画を製作しなければと思い立ったという。
 羽田さんがいうように人間の理想の死に方は苦しむこともなく、親しい人に見守られて安らかに死を迎えることであろう。現実は80パーセントが病院で死を迎え、家で死んだ人は13パーセントにすぎない。家で死を迎えるためには住宅訪問医制度・介護制度を充実するほかない。また地域の取り組み方、地方自治体の福祉政策も関係してくる。
 映画では東京と栃木の住宅訪問医の奮闘振りを紹介する。患者と医者のコミュニケイションがいかに大切かがわかる。いざという場合、電話で患者の様態を聞いて投薬を指示できるのだからたいしたものである。いずれにしても訪問医が少ないのが現実である。
 病院で死を迎えるのが必ずしも悲惨とはいえない。私の友人は肝臓ガンで入院したが、一切の延命治療を拒否して病院で死んだ。過剰な延命措置が問題となり、多額な医療費が使われる非難に対する一つの稀な事例である。終末医療には患者自身に関わる事が多いように思う。知人が腎臓ガンで入院治療を受けた後著名なホスピタル病院に移り、娘の看護を受けながら苦しむこともなく死んだ。入院中はボランテアによる演奏会を聞く機会もあった。
 映画ではスウェーデン、オーストラリアの実情も紹介され、貴重な示唆を与えてくれる。私には自宅死でも病院死でもその人の死に対する「覚悟」にあるように思う。それによって安らかに死を迎えることも出来、悲惨な死を迎えることにもなるような気がする。死を迎えるにもその人の生き方、性格が如実に出てくる。私は病院でも自宅でも願わくは、クラシック音楽を聞きながら死にたい。

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