2006年(平成18年)8月20日号

No.333

銀座一丁目新聞

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茶説

企業の合併・買収に臆病になれ

牧念人 悠々

 日本は知らぬまにM&A(企業の合併・買収)の花盛りらしい。その件数は昨年が2725件、今年は7月までに1641件、今後5年間は伸びつづけるという予測である。両者が納得づくであれば問題はないが、お金の力でごり押ししているように見える。それが市場原理主義だとすれば、私は排斥せざるをえない。王子製紙の北越製紙へのTOBにしても強引なやり方だなと見て、王者王子らしくないと批判した。多少根回しをしたようだが地元の反発を招いたようである。「窮鳥懐にはいらば猟師もこれを撃たず」という。相手側から救助を求めてきた場合はM&Aを受けいれざるえないであろう。
 企業の合併・買収はアメリカでは日常茶飯事ですよといっても日本とアメリカでは国民性も風土も異なる。日本では会社は従業員のものであって株主のものではない。これを思い違いをしてはいけない。株主は資本金の一部を出した資本家に過ぎない。会社は役員に任せておけばよい。口を出さない方が良い。これは古い考え方ではなくて会社がたてた目標に向って会社も従業員も一体になって働らいてゆくという美しい形が出来ている。その会社を日々革新して行くのは「市場原理主義」ではなく企業トップの経営理念であったり、従業員のすぐれたアイデアであったりする。
 藤原正彦著「国家の品格」(新潮新書)にこんなやり取りが出てくる。ロンドン駐在の商社マンがイギリスのお得意さんから質問された。「縄文式土器と弥生式土器はどうちがうのか」まず模様が違う。縄文式は土器の表面にヒモを圧着したりころがしたりしてつけた模様がある。弥生式は素焼きの赤褐色の土器、明治時代東京・本郷弥生の貝塚で発見されたのでこの名がある。つぎに年代が違う。縄文は紀元前1万年前後に始まり、前5世紀から4世紀まで継続し弥生時代に入る。弥生は後3世紀ごろまで続く。こんなことでいいのだろうか。
 次の質問は「元寇というのは二度あった。最初のとあとのとでは、何がどう違ったんだ?」これは難しい。一回目は文永11年(1274年)である。次が7年後の弘安4年(1281年)である。一回目と二回目とはフビライの意気込みがまず違う。しかも弘安の役には10万の大軍を繰り出した。日本の来貢を求めて二回とも使者を寄越したが、北条時宗は二回目の建治元年(1275年)にきた五人の使者を鎌倉滝の口の海岸で処刑している。文永10年の時の使者に「今度来るような事があれば一人も生かして返さない」と申し伝えて帰国させているからだ。ここが違う。これらの意地悪い質問に答えられないと、イギリス人は「この人は文化のわからないつまらない人だ」と次から相手にしてくれないそうだ。経営は文化だ。お金至上主義の人がM&Aに乗り出してきても上手くいくはずがない。藤原さんが「情緒」や「形」を論理よりも考えよというのはとりもなおさず日本文化を勉強せよといいたいからだ。

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