2006年(平成18年)8月20日号

No.333

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
自省抄
銀座の桜
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

追悼録(248)

「戦争による犠牲者を悼む」

  戦後61年目の8月15日を迎えた。その日に公約通り靖国神社に参拝した小泉首相に新聞の風当たりは強い。朝日新聞は小泉首相が靖国参拝に相変わらず「心の問題」を持ち出し、自分の心を大事にしても自国が被害を及ぼした国の人の心には思いが及ばないらしいと批判する(8月16日「天声人語」)。逆ではないか。自分の心を大事にしない者がどして相手の心を理解できるのであろうか。自分の心を大事にすればこそ相手の心も理解できる。自分の国のために命を捧げた英霊に対して参拝するのがどうして悪いのか。まさに「心の問題」である。人間としてあたりまえの事をしているのに過ぎない。
 「天声人語」氏はさらにいう。「日本の近隣国には、日本の侵略で町や村を戦場にされ、家を焼かれた人たちが今も暮らしている」戦争というものは常に住民を犠牲にする。日本とて同じことである。広島、長崎の原爆投下はその最たるものである。アメリカは個人的には謝罪しても国としては「投下は当然であった」という立場をとる。国際法では戦争には「自衛戦争」と「侵攻(侵略)戦争」がある。自衛か侵略か自国に解釈権がある。だからその国が「自衛戦争であった」といえば、侵攻(侵略)戦争ではないのである。欧米諸国は植民地を獲得するためかなりあくどいことをしているのにすべて自国の発展のために必要な自衛戦争であったと主張して、謝罪など絶対にしない。これまでに謝罪した国はどこもない。正直に謝まったのは日本の国だけである。個人的には謝罪してもよいが、国としては謝罪すべきではない。軽軽しく「侵略」という言葉を使うべきではない。国際法上から言えば、「終戦記念日」にしても8月15日は「終戦の詔」の玉音放送を拝した日であって正式に降伏したのは昭和20年9月2日米戦艦「ミズーリ」号上で降伏文書が調印された時である。本当の終戦記念日は昭和27年4月28日平和条約を調印、日本が独立を果たした時であるという識者もいる。戦後7年もの間、日本は米軍の占領下にあったことを記憶するためにも4月28日を終戦記念日にするのが一番良い。反日自 虐な東京裁判史観を脱却するためにも妥当かもしれない。
 大東亞戦争の戦没者は陸海軍人、一般市民を含めて300万人を超える。靖国神社には246万6千余柱の英霊が祭られている。今日の日本の繁栄はこれらの人々のおかげである。このことは100年どころか未来永劫忘れてはいけないと思う。

      靖国にヘリかまびしき敗戦忌 悠々

(柳 路夫)

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts。co。jp