安全地帯(150)
−信濃 太郎−
加藤豊さんの勝鬨橋の写真展を見る
月島にある社会部の友人の家でよく麻雀で遊んだので晴海通りを通って勝鬨橋を渡った。市電が通っていたのを覚えているし、船が通るたびに橋の中央部が跳ね上がるのも知っている(昭和45年11月30日閉鎖)。加藤豊さんの写真展「閉じられたままの勝鬨橋 その造形と情景」(7月10日から15日・東京・有楽町交通会館)を見て勝鬨橋の表情が豊なのにびっくりした。点数は45点。様々な角度、撮影時間によって変化する写真が展示されていた。10年の間コツコツ撮ったものである。
勝鬨橋は隅田川の玄関橋である。昭和15年6月14日開通した。全長246メートル、全幅2メートル、中央可動経間44メートル。もともとは昭和15年に開催予定の「万博」と「東京オリンッピク」会場(月島)への交通路として考えられた。戦争の激化で両方とも中止になってしまった。日本でも珍しい二葉跳開橋が誕生した。この橋には昭和15年の時代が色濃く残されている。当時鋼材が不足したので石材が多用されている。写真説明には「石は丁寧に研磨され微妙なR がつけられている」とある。資料によればこの年、高島屋の貴金属売り場から一切の金製品が撤収されている。また大阪市ではこれまで海に捨てていた火葬場の残灰から3.200円分の金歯や指輪を取り出したという。ちなみに給料の源泉徴収はこの年の4月23日から。戦費調達のためであった。時代と共に風景も変る。「夕映えの架線柱」の写真には東京タワーが見える。今では林立する高層ビルのため見ることは出来ないそうだ。「出来るだけ人物を入れるようにしました」と加藤さんが言うように写真には子供連れのお母さん、OLの姿、自転車で行き交う人々、遊覧船などが写っている。何時の時代でも庶民は懸命に生きている。それを忘れない加藤さんの心根が嬉しい。
炎天の筏はかなし隅田川 波郷 |