2006年(平成18年)5月10日号

No.323

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花ある風景(237)

並木 徹

戦火から本を守った図書館員

  絵と文/ジャネット・ウインター訳/長田弘「バスラの図書館員』―イラクで本当にあった話ー(晶文社・2006年4月10日発行)で初めて女性の図書館員が蔵書を戦火から守った話を知った。場所はイラク最大の港町バスラ。女性の名はアリア・ムハンマド・バクルさん。コーランのなかで、神が最初にムハンマドに言ったことは『読みなさい』ということであったという。この図書館には貴重な本がたくさんある。700年前のムハンマドの伝記もあった。イラク戦争の危幾が迫ると、当局に図書館の本を他に移すよう進言したが聞き入れられなかった。そこで、アリアさんは閉館後、自分の車で本を安全な場所に移した。戦火がバスラに及んだ時でもアリアさんは一人で踏みとどまり、友人らの手を借りて蔵書を運び出した。その数は3万部に達した。図書館が焼失したのは運び終えた9日後であった。このニュースをニューヨークタイムスが2003年7月27日に報じた。素晴らしい戦争ニュースである。戦争と図書館にからむ話は昔からある。267年、アテネがゴート族遠征隊に占領された際、文化財などに興味のないゴート族は図書館と言う図書館の蔵書類を山と積んで焚書しようとした。その時、進言したものがいた。「図書というものは敵に軍事訓練を怠けさせ、怠惰な坐業に専念させる効果がある。だからこのまま敵の手に残すべきだ」お蔭で蔵書は全て無事ですんだ。とんだ知恵者がいたものである(淮陰生著「一月一話」岩波書店)。
 さらに続ける。1592年4月倭軍15万が朝鮮へ侵攻した。漢城の朝廷は浮き足立ち都を棄てて避難することになった。この時、内医院医員の許浚(ホジュン)は書庫から書物を運び出す算段をしてそれを実行した。上からの命令は王と世子に随行することであった。彼は書庫にある備忘録、処方箋は累代保管し研究していかねばならないものであり、一枚一枚が生々しい考察の資料であった。これが戦火で焼失するのは朝鮮の医業の中断を意味すると考えたからである。かくして許浚によって朝鮮の漢方医学を集大成した「東医宝鑑」が生まれたのである。
「図書館の本には私たちの歴史が全部つまっいる」というアリアさんの言葉は千金の重みを持つ。

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