8月19日(旧暦7月4日)水曜日 台風15号通過
台風一過! 嘘のような静かさ。
四国に被害が出ているらしい。昼食後読む新聞に詳細が報道されるだろう。身勝手なもので姉の生ある時は四国や徳島とラジオに聞けば即神経集中!今はぼんやり追憶が通りすぎるだけ。後ろめたいよ私よ。
大曲美奈子士も今月末退職と知る。二歳の男児を得て離婚。両親の家に同居中。新しい職場は木室。彼女の生まれ育った集落で、新設の特老。生活を考えればパートは不安と。もっとももっとも!しかし私の今の心理な愛惜ならぬ痛惜よ。
なぜなら、今まで受けてきた介護者の中で最も頭の回転の鋭さが頭に来る程。一事・一枝に要望の言葉を重ね辛抱の末、やっと儀礼ならぬ本心の感謝ありがとうに漕ぎつけたのに、と言いたいのが現在ただいまの私の所感。
永寿園は介護者養成所じゃないんだ!
私は養成員じゃないんだ!
憤懣やるかたない血気のはやりよ。
でもでも私よ鎮まるがいい。
相手は相手の都合によりパート契約。パートは経済的に不利。住居在の集落に正職募集があり合格。契約解消、退職。新就職の好機を得た彼女は正道を歩いているのだ。祝福ものだ。が、ペン執る私の芯はそこへ至り着いていない。自己制御の領域内だ。・・・・ああ嘆息の態よ。ああ世はままならぬものよ。
思い出した! 母の唄。
ままならぬとまま櫃投げた。
あたり一面ままだらけ
ままは飯の意。父母をはじめ兄姉も私も奉公人とよばれた男衆も、いや村みんなの使う方言の一つ。古語。思い出すなあ、その片々を。
まま食ぶる(ご飯をいただく)
ままこぼさんごつ(ご飯をこぼさないように)
あとさんまま(仏飯)
歯欠けつぶしがままこべた(永久歯に生え替わるころの童への揶揄・お愛想・ご飯 をこぼしたよ)
歌舞伎「伽羅先代萩」鶴喜代君に仕える乳母・政岡が「ままはまだかえ?」と促す幼君に、「侍の子という者は腹がへってもひもじゅない」云々と訓戒する?いや幼君の自戒?おぼつかない記憶力、そして記憶力のおとろえの実感ひしひし。
それをできる限り遅らせたい。能力の目に見える減速に対する愛惜と引き留めたい現状維持の念願から、自省抄を始めたのではなかったか。
高村智恵子が浮かぶ。壊れていく精神を意識し始める妻智恵子を詩人光太郎は「智恵子抄」を編んだ。智恵子のかなしみを「道程」の夫は、しかとその胸に受けとめた。夫婦愛はにんげん普遍の愛に昇華した。自然を父と崇める詩人によって。
江嶋先生ご夫妻は人の羨む熱い恋愛。そして祝福いっぱい亨けてのご結婚と噂に聞いていた。ひびがはったのは薬害にあった。戦後、農薬の空中散布が流行した。奥様の散策、ふだんの日課は無残の受難。
頭髪に異変が生じた。
母は頭を、頭髪を、正直を、大事にした。
正直の頭に神宿ると。
母は真っ正直で、神!絶対だった。
明るさも歌好きも、透明感あふれる性格は生来的自然性とも癒えようか。見栄張り小心の私は鬼子?親しい先輩は、お母さんは大きいと言ってくれた。
脱線はもとに戻そう。
奥様は髪の豊かな美人であった。異変の頭髪が、先生と小唄のお師匠さんを男女の仲にかえた。先生は家をでてお師匠さんの家へ。同棲のの動機はすでに成人のお子さん方の促しでもあったことを思えば、奥様の精神に一過性の乱れがあったのではなかろうか。
家を出られる先生に奥さまはおっしゃったという。いつでもお帰えりになりたい時はお帰り下さい、と。僕は帰らないよ、きっぱりとした先生の口調であった。
四十台はじめの私はおろおろ、お三方三様の気持ちを慮るばかり。性について改めて考えたのはこの時期であったような気がする。
その当時、私は柳川郊外の仮寓に母と暮らしていた。遊びに来た教え子、文江さんその他数人いた。文江さんが言った。先生は六年生の女の児ぐらいしか知っとんなさらんじゃろ、と冗談雑談、笑いさざめきの中で。
そうかも知れない。そうでないかも知れない。とぼけているかもよとは心の内・・・。明晰の人にご縁があった。臥床の身でなければお互いに不倫すれすれを意識していたといえようか。
江嶋先生はモラリスと周知の人の目に映る私の、そんなこんなをご感受ゆえにお師匠さんをお連れしても下さったのであろうか。
ふんわりと柔らかいものごしも言葉遣いも嫋めいて、先生のお惹かれ心を目の前に明示されている心地がした。
男が女が天(神)から与えられている性を、どう考えようと行為しようと、それも授けられた恩恵、恩寵。人間は大切のする。粗雑にしないことが劫初からの自然の秩序に随順する報恩といえるのではないだろうか。
母よ!
ゆっくり謐かに豊かに時間が流れた、時計の針は五時十三分を指しています。
入退院何回目かの佐伯夫人と、カーナビ盗難の衝撃をマンション住居や田辺の人々の優しさに慰められているお鈴ちゃんへ、今から返信ハガキに心を込めましょう。
夢見にお待ちしますね。
|