花ある風景(185)
並木 徹
俳句をたしなむ人は心やさしい
銀座に事務所に時折、留守番に来る女性がいる。友人の妹さんで、俳号を千笑という。ひまがあると指を数えている。さるとき、市の広報誌に自作の俳句が入選したと嬉しそうにいっていたので「それはほかのひとが下手だったからでしょう」と私がからかうと、悲しそうな顔をした。悪いことを言ったと思ったが後の祭りであった。つい最近も事務所にお顔を出したので俳句の話と相成った。
最近の作3句を披露してくれた。
「名月やうさぎのグッツ集め置く」 (月見ダンゴではなくグッツの表現が新鮮な感じがする)
「語り部の訛り生き生き炉火の揺れ」 (昔話をとつとつと語るのがいい。「炉火の揺れ」老人の貴重な話を若者が熱心に聞いているのが嬉しい)
「止まってはまた飛び止まる冬の蝿」 〈あわてずゆっくりのんびりと 俳句を勉強している作者自身を歌ったのであろうか。其角の句「憎まれてながらふる人冬の蝿」を思い出した)
銀座俳句道場の同人の方江さんからフアックスが入った(11月25日)。いつも私の駄作を誉めてくれる。この人は長岡京市から新幹線で毎月、東京・湯島で開かれる寺井谷子さんの「湯島教室」へ勉強に来る。毎日新聞の俳句欄(10月31日)に掲載された寺井さんの書いた記事の切り抜きを教室へ持っていったところ、教室の生徒22名全員が「欲しい」ということで、全員の分をコピーしましたと書いてあった。方江さんはこの記事を話題にしようと思ったのだが、生徒さん達は余り新聞を読んでいないらしい。新聞社は俳句をたしなむ人のために俳句欄をもうけて読者を獲得しようとしているのに、どうも全員コピーされるとは新聞はあまり読まれていないようだ。俳句は俳句、新聞は新聞ということであろうか。
方江さんの句
「かなしければひたにはげみて冬木の芽」(この作者は切なくも真摯なのである。いい俳人になるであろう。継続は力なり) |