2004年(平成16年)4月20日号

No.249

銀座一丁目新聞

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茶説

イラク3人人質事件に思う


牧念人 悠々

  イラクでの日本人3人の人質事件発生から解放まで一週間、この間国の内外で起きたさまざまな現象は深く考えさせれた。ここだけの話だが、私はこの事件を「金目当ての武装集団による誘拐」と推測した。事件記者は事件が起きると、事件のすじを読み、どのような展開をするのか一応推理する。事件のすじを間違えると事件記者は新聞社を辞めようかと悩むぐらいである。理由はアルカイダ系のテログループであれば、躊躇なく3人を殺している。声明文を分析してもイスラム過激派ではなく部族の武装集団と見られた。これでは話し合いの余地が十分あり、人質の命はまず大丈夫であろうと考えた。一応「自衛隊の撤退」の政治要求を掲げているが、それは「名目上の大義」とみた。このことはメール友達にもこの見方を示し、人質の救出が先決であると伝えた。どうも私に言う「金目当て」は間違ったようである。ともかく「自衛隊撤退」の要求が狙いのようである。この点はさらに解明される必要がある。
 国内で起きた誘拐事件であれば「報道協定」が成立して報道が自粛されたはずである。国外だけに新聞各社はいろいろな情報に惑わされ右往左往。政府が何もしないと非難するなど当り散らした。また「自衛隊が撤退しなければ人質を殺害する」との脅迫を真に受けて「自衛隊撤退」を訴え「3人を見殺しにするな」と情緒的な紙面づくりをした。日本人はこの事件を前にして始めて「個」と「公」のいずれをとるべきかの選択の問われる事になった。人命は地球よりも重いかもしれないが、国が決めた方針、政策を遂行するのがより大事なときがある。今回の場合は「公」を優先しなければいけないと思う。最悪の場合は「個」を犠牲にせざるをえないのだ。とりわけテレビは感情的であった。テレビには事件のわかる記者が少ないのを痛感した。
 新聞もこの事件の本質をしっかりと掴んでおれば例え情報が錯綜しても落ち着いた報道が出来たはずである。新聞は余りにも一喜一憂し過ぎた。
 事件が起こるや政府は「自衛隊撤退せず、人質の救出に全力を挙げる」と態度を表明したのは当然とはいえ見事であった。方針がぐらつかなければ現場は仕事がやりやすい。だから人質全員解放の朗報となった。

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