少子化の影響で、この春から統合されることになった母校の中学校から、『閉校記念誌』が送られてきた。最初のページの「1948年(昭和23年)4月1日に開校し、56年の歴史をもって2004年(平成16年)3月31日に閉校しました。」との文章がぐっと胸に応えた。
52年も前に卒業した学校ではあるが、同窓会の役員として3年ごとの同窓会の準備や、翌年の会報誌の発行などに足繁く学校に通ったので、昔よりも愛着があった。昨年の5月に最後となった同窓会を終え、最後になる会報誌の編集をいま手がけている。5月にその会報誌の発送を終えたら、もう学校に足を運ぶこともないだろうと一抹の淋しさがあった。
56年のあゆみを綴った『閉校記念誌』を読み進むうち『最後の生徒会長として思う事』という2年生の女子の文章が載っていた。「(前略)学校が変わる時、一体何が起こるんだろう?私は何ができるだろう? と、新しい気分にひたる前に、卒業した先輩方に伝えておきたい事があります。壁に書いた落書きやロッカーの傷、校門にほられた校名。そんなものがぬりかえられ、ピカッと様相の変わった校舎を見てどう思いますか?「母校だとは感じられない」とがっかりし、さみしく思いますか? がっかりしないで下さい。さみしく思わないで下さい。一人一人の歴史がそれぞれの学校の歴史となり、それが合わさって私達もこの校舎もあるのです。それは大きな区切れ目だけど、けっして切れてはいません。だから外見がどんなに変わっても、ここはみなさんの母校です。そのことを、どうか忘れないで下さい。卒業した先輩方、ここまで歴史をつないできてくれてありがとうございました。」
この、ずっとずっと後輩の先輩に対する配慮のお陰で、例え二度とその門をくぐることがなくても、やはり其処は間違いなく母校なのだと思うことが出来た。
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