衆院議員を引退した中曽根康弘元首相は今の心境をこのように詠んだ(11月8日毎日新聞)。自民党が議員の定年制を73歳と決めた以上辞めざるをえまい。ごねるのは潔くない。中曽根さんに就いて、筆者は政治家として高く評価する。日米関係では対米武器技術供与の決断、米ソ間の中距離核兵器削減交渉における中曽根の積極的な発言(ウイリアムズバーグ・サミット)、ソ連戦闘機による大韓航空機撃墜事件での自衛隊の交信記録の公開、行政改革、国鉄改革など実績を残している。
何よりも高く評価するのは首相として始めて靖国神社に公式参拝したことである(1985年8月15日)。中曽根さんの政界入り (1947年4月総選挙で初当選)の動機は次のようなものであった。「復員軍人として戦死した英霊に報いる最高の選択は、日本の選択のために政治の第一線に出て、前途もわからないこの苦難の道を行くことです」(中曽根康弘著「政治と人生」講談社刊)。中曽根さんは海軍主計将校として高松で敗戦を迎え、弟良介さんは戦死している。靖国神社参拝は公私を問わず当然であった。
中曽根さんより七つ年下の筆者も事あるごとに靖国神社に参拝に行く。敗戦時陸軍士官学校の最上級生であった。航空士官学校に進んだ同期生は満州で操縦の訓練中であった。殉職したもの、侵入してきたソ連軍と戦い戦死したものなど12名が靖国神社に祭られている。もちろん先輩もたくさん祭られている。国のために命を捨てた人々をお参りすのが何処が悪いのか。残念ながら中曽根さんの参拝も翌年から見送られた。「近隣諸国の国民感情の配慮など諸般の事情を総合的に考えなくてなならない」というのがその理由である。
今後とも中曽根さんには活躍の舞台が残されている。少なくとも自民党の行く末には元首相として責任の一端がある。「改憲準備選挙」といわれた今回の総選挙に自民党は勝った。中曽根さんの出番は多くなる。機会あるごとに大いに発言されよ。 |