2002年(平成14年)2月10日号

No.170

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(1)

−トキノミノルとシンザン− 

 今年の「えと」(うま)にちなんで、馬にかかわることどもを(といっても、競馬が主になるが)、あれこれと書き綴ることにしたい。
 季節はまだ寒い2月だが、明け3歳の若駒たちにとっては、ダービーを頂点とする春のクラシック戦線への熾烈な戦いが始まっている。2月第1週(2月3日)の「共同通信杯(トキノミノル記念)」もその一つ。結果は、チアズシュタルク、サンヴァレーの両関西馬が1、2着を占め、関西勢のレベルの高さを印象付けた。近年続いている西高東低の形勢は、変わりそうにない。
 勝ったチアズシュタルクは、父が今を時めくサンデーサイレンス。しかも、母チアズフラワーとくれば、もうお分かりだろう。一昨年の桜花賞馬チアズグレイスの全弟である。
 ところで、このレース。以前はトキノミノルを記念するレースとして親しまれた。トキノミノルは昭和26年(1951)、10戦無敗でダービーを制したほどの名馬だった。皐月賞、ダービーの2冠に続き、秋の菊花賞にも勝って史上2頭目(昭和16年のセントライトに次ぐ)の3冠馬になるだろうと見られていた。だが、ダービーの1ヵ月後、破傷風に罹って死を余儀なくされた。「トキノミノル記念」という名のレースが生まれたのには、その名を長く残そうとの意図による。
 そのレースもいつのまにか姿を消した、と思っているファンも少なくないだろう。というのは、昭和58年(1983)に「共同通信杯」という冠称が付き、なにかにつけてこちらで呼ばれるようになったからである。実は、トキノミノル記念の名称は消えたわけではなく、サブタイトルとして、カッコ書きで残ってはいる。だが、新聞や雑誌には、このサブタイトルが省略されてしまっている。名馬の名も次第に忘れられていくようである。
 このトキノミノルと対照的といえるのはシンザンだろう。シンザンは、昭和39年(1964)に皐月賞、ダービー、菊花賞を制して、史上2頭目の3冠馬となった。天皇賞、有馬記念にも勝ち、トキノミノルが成し得なかった成績を上げた。「無事、これ名馬」の典型的な馬で、平成8年(1996)7月、天寿を全うした。享年36歳。(36歳は最長寿記録)。
 その名を付けたレース「シンザン記念」は、昭和42年(1967)に創設され、「日刊スポーツ賞」の冠称が付いてからも、依然として「シンザン記念」の名で親しまれている。片や「天才の夭折」。一方は、人間でいえば100歳を超える大往生。名馬の運命も生き方もさまざまである。

(宇曾裕三)

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