2002年(平成14年)2月1日号

No.169

銀座一丁目新聞

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お耳を拝借(38)

-公平と不公平の意味

芹澤 かずこ

 

 各界で活躍している人たちの「新年の言葉」を集めたメールを寄せて下さった方がいます。その中の江崎玲於奈氏の「人間はみな違うと言う前提に立つべきである」という言葉に大いに同意しました。10人十色、顔かたちが違うように生まれ、環境、教育も違えば、ものの見方、性質、感性、趣味、好みも全く違うものだとの前提に立って考えれば、少なくとも無駄な争いやストレスは回避されるのではないでしょうか。
 私の周囲でもその認識が足りないばかりに、いろいろな揉め事が起きました。長年、培ってきた友情がたったの一言で決裂して、それ以後、10年も続いていた旅行会までなくなってしまいました。それも子供じみた何とも大人気ない話なのです。いつも同じ場所で集合したり解散したりするのは、その場所に近い人はいいけれど、遠い人には不公平だと言うのが発端でした。それなら幹事を持ち回りにするか、言い出した当人が幹事を引受けて自分の都合のいい所を集合場所にすればいいと思うのですが、双方いきり立って話し合いどころではないのです。私などは何やかや小うるさい人でも、幹事を引受けるとトコトンやってくれるその仕事振りに免じて、多少のことには目をつぶるようにしていました。面倒な事には手を染めないで文句だけ言うのは、むしろ幹事側からすれば公平な話ではありません。
 また私が子育てをしていた頃、一緒に育った兄弟であっても全く性質も好みも違う二人を同じように扱うことが、公平なのか不公平なのかを考えさせられたことがありました。私は習い事にしても、受験する学校にしても、それぞれ個性に合った選択をすべきだと常々思っていましたから、親の押し付けではなく、本人の性格や意向を重視した上で稽古事や進学なども決めてきましたが、その家庭は違っていました。何でも過不足なく二人を同じに扱うことが、親として公平なやり方だとの考えのようでした。
二つ違いのその兄弟は、揃って公文の塾へ通っていました。上の方の子はなんなく計算をこなし、どんどん先へ進んでいました。下の子はどうも計算は苦手な様子。塾へ行くより遊びたい盛りなのです。でも気の優しい母親思いのその子は、厭だと口に出して言えなかったのでしょう。それが強いストレスとなって体の一部に現れたのです。円形脱毛症。それもちょっとやそっとの脱毛ではありません。まるで河童のように、大きく中央の毛が薄くなって地肌が透けていましたから、誰の目にも病的であることが分りました。
直ぐに手が打たれたので時間は多少かかっても髪は元に戻りましたが、このことが後々まで尾を引くことになりました。自己主張が出来るようになると親への反抗が著しくなったのです。この時ほど子育ての難しさを痛感して、他人事ではありませんでした。



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