2001年(平成13年)12月20日号

No.165

銀座一丁目新聞

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追悼録(80)

 ダウラギリ1峰(8167メートル)で遭難した群馬ミヤマ山岳会の星野竜史さん(34)品川幸彦さん(33)福本誠志さん(27)ら3人の追悼会が開かれた(12月9日前橋市・群馬建設会館)。式場の大ホールは760人を超える参列者でうずまった。「より高く、より困難」を求めて、東壁からの登頂を目指しながら志を果たさなかった山男へ、弔辞を読んだ人たちは心から哀惜の言葉を贈った。
 星野さんとともにエベレスト(8848メートル)の南西壁からの冬季登頂に成功した尾形好雄さんは「群馬山岳連盟(加盟団体28)に有望な後継者が出来たと喜んでいたのに一挙に3人も失うとは痛恨のきわみである」と優秀な後輩たちの死を痛んだ。星野さんも福本さんもスポニチ登山学校の講師であった。スポニチ登山学校の講師陣はエベレスト登頂者6人を含む豪華メンバーで構成さているのはあまり知られていない。この日一期生から六期生まで約100名が参列した。
 ミヤマ山岳会の松崎宣行さんは「人一倍思いやりの深かった3人が最後の発した言葉は同じで『みんな大丈夫か』ではなかったかと思う」と声をつまらせた。
 今度の計画は無酸素・シェルパレス・セミアルパインスタイルであった。やさしくいえば、8000メートル級の山を登るのに、できるだけ他人の力や文明の利器をかりず、昔通り、自分の体力、精神力でやろうというものである。21世紀のヒマラヤ登山は、これが主流になるという。
 ミヤマ山岳会会長、宮崎勉さんは、「常に挑戦者でありつづけるから登山家であり、その意思がなくなったものは評者や登山者に変わります」と指摘し「登山史はこの苦難の道を歩む者たちによって作られ、作りつづけられるはずです。また、常に冒険と危険が背中合わせでついているのも、登山の宿命です」と今回の報告書の中に寄せている。
 筆者が言葉を交わし、顔見知りは星野さんだけである。ホールいっぱい埋めた予想をはるかに越える参列者をみて山男に対する関係者の深い友情に感動するとともに、遭難の第一報を受け取った時、頭に浮かんだのは遺族のことであり、とりわけ、妊娠3ヶ月の星野さんの夫人恵子さん(31)の嘆きの深さに思いを致した。彼ら3人の足取りは6500メートルを登はん中を確認されている。偶然にも京都岳人クラブの登山隊がダウラギリの東壁から上る3人をカメラに収めたのだ。この貴重な映像は当日、式場でスライドで大きく映し出された。豆粒ほどの3人の挑戦者の最後の姿であった。

(柳 路夫)

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