2001年(平成13年)11月20日号

No.162

銀座一丁目新聞

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追悼録(77)

 手元に1985年(昭和60年)6月25日福岡サンパレスで開いたチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の特別演奏会(主催毎日新聞西部本社、RKB毎日放送)のチラシがある。司会・朗読、左 幸子(友情出演)とある。管弦楽団の演奏会に司会・朗読とはきわめて珍しい。この日、共演したヴァイオリンの黒沼ユリ子さんの企画で実現した。
 3年前に、黒沼さんは「わが祖国チェコの大地よ」−ドヴォルジャーク物語−(リプリオ出版)を出版しており、その一節を友人の左幸子さんに朗読してほしかったのだ。
 ここでちょっとした問題がおきた。ポスターを見て左さんが怒ったのである。指揮者のリボル・ペシェックと黒沼さんは写真入りで、名前の活字も大きいのに左幸子の名前は虫眼鏡をみなければわからない。舞台に立てば3人同列である。私は刺身のつまではないかという。西部本社の事業部長が相談にきた。そこで、黒沼さんの本のさわりはいっぱいある。朗読に多少の時間をとられても、ドヴルジャークの人柄がわかるだけお客さんは喜んでいただけるだろうと、舞台に居る時間を延ばすようにした。この試みは成功した。ペシェック指揮の交響曲「新世界より」に聴衆は圧倒された。「常に自分を民衆と同じレベルに位置付け、けして傲慢にならないだけでなく彼が作る音楽も、たしかに『ドヴォルジャーク語』とでも名づけたくなるほど、彼独自の個性にみちていながら、だれがきいても理解できような、わかりやすい語法で作曲されている・・・」(同書より)左さんの朗読も効果を上げたと私は思った。定員2326席のうち2034人の入場者があった(当日の日記より)。
 筆者は左さんの映画をほとんどみていない。映画『ニッポン昆虫記』『飢餓海峡』などで演技派女優と知られる彼女の芯の強さ、舞台での自信、感の良さをこの時、はじめて知った。2、3ヶ月あと、東京世田谷の黒沼さんの自宅で、左さんを入れてメキシコ料理の夕食をともにした。左さんは気さくで、きどらず、話やすい人であった。私が陸士の59期生と知って、5歳年下で富山出身の彼女は『私は陸士の人にあこがれていたのよ』と嬉しい言葉をはいてくれた。
 縁は不思議なもので、スポニチ時代の1991年10月、協賛した、劇団みなと座の「糸女」(原作 河竹登志夫 演出 西川信広)の主役に左さんがついた。女の意地を貫き、河竹黙阿弥の家を支えた糸女役は彼女には適役だと思った。4年前に胃の全摘出手術を受けているだけにやや声に力がなかった。それでも好演した。後で聞くと、役柄について自分の意志を通し、かなりわがままで、まわりをてこずらしたようである。初日の芝居には、演劇の研究者でもあるアイスランドのヴィグデス大統領が観劇した。楽屋に彼女を訪ね、久闊を叙するとともに、花束を贈った。喜んでくれた。
 演劇評論家の木村隆さんは「個性的な美人で女のハラワタまで見せられる女優だった」と表現している。うなずける面もあるが、とても寂しがりやではなかったかという気がしてならない。11月7日死去、享年71歳であった。

(柳 路夫)

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