2000年(平成12年)12月10日号

No.128

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
横浜便り
水戸育児便り
告知板
バックナンバー

茶説

キューバ危機を救った決断

牧念人 悠々

 いまから38年前の1962年10月に起きたキューバ危機を描いたロジャー・ドナルソン監督の映画「13デイズ」が12月16日から日米同時に公開される。
 この映画を見て、そのときのトップの決断がいかに大切であるかをしみじみと知った。一歩誤れば核戦争になる可能性があっただけにジョン・F・ケネデイ大統領の「海上封鎖」を選択した決断はすばらしい。
 陸士で戦術をかじった私は「決心攻撃、矢は左」という言葉を覚えている。矢とは攻撃の重点の向け方である。考えれば、攻撃の中味はいかようにも工夫できる。攻撃の重点は状況特に地形を判断し敵の弱点若しくは敵の苦痛とする方向それを指向すべしと作戦要務令に記されている。戦争の場合、指揮官の能力で勝敗が決まる。
 アメリカ本土からわずか1400Kmのキューバに射程2100Km広島型の60倍の1メガトンのソ連の核ミサイルを設けられたら、誰しもが即攻撃と決心するであろう。このとき、空軍による爆撃かそれとも黙って見送るか選択は二つに分かれた。ロバート・ケネデイ司法長官は爆撃と泣き寝入りの間にもっと他にも方法があるはずと考えた。知恵者がいた。マクナマラ長官が「海上封鎖案」をだした(A・M・シュレジンガー著「ケネデイ」中屋健一訳 下 河出書房刊)。つまり、これ以上キューバに攻撃用兵器を搬入させないよう海上封鎖を実施し出来うるものならばすでに存在しているミサイルを撤去させようという考えであった。
 封鎖であれば、戦争は避けられるし、柔軟性もある。海上封鎖も作戦行動であるが相手の出方を見ながら手を打っていける。大統領はその策を採用した。国連安全保障理事会、米州機構への対策、国民のためのテレビ演説、フルシチョフとの交渉などあらゆる手をうった。それが成功したのだった。
 映画はケネデイ大統領(当時45歳、グルース・グリーンウッド)、ケネデイ司法長官(当時36歳、ステイ−ブン・カルプ)特別補佐官ケネス・オドネル(当時38歳、ケビン・コスナー)の三人が活躍する.迫力十分である。アメリカのリーダーの年齢は若い。第二次森内閣の平均年齢は63歳である。経験は豊富かもしれないが、行動力、発想の柔軟性にかける。演出家テリー伊藤さんの「閉店セール内閣」という評(12月6日付毎日)が一番気に入った。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp