花ある風景(42)
並木 徹
雑誌『選択』の社長、飯塚昭男さんの長男で、スポーツニッポン新聞の記者(巨人軍担当)をしている荒太君の結婚披露宴に出席した(11月26日・ディズニーアンバサダーホテル)。
司会は友人の日本テレビの記者。仲人はなく、スポニチの巨人軍担当キャップが新郎、新婦の生い立ち、なれ初めなどを紹介する。ついで、上司のスポニチ編集局次長兼野球部長が新郎の猪突猛進振りの取材態度などを面白おかしく語る。座の雰囲気がたちまち和らいでしまった。
来賓の挨拶は城山三郎さん。飯塚さんとの縁は『週間新潮』の掲示板である。杉本五郎中佐の『大義』を求むと書いたところ、これに応じたのが飯塚さんだったという。
私は耳を疑った。この日の出席者のほとんどが「大義」を知らないであろう。私が戦前よく読んだ本である。「汝、我を見んと要せば尊皇に生きよ。尊皇精神のある処、常に我在り」いまでも覚えている。
聞けば、昭和2年生まれの城山さんも軍国少年だった。19年4月、陸軍予科士官学校を入学直前の身体検査ではねられ、将校生徒の夢を立たれた経験をもつ。合格しておれば、私より一年後輩の60期生となったはずである。そういえば、城山さんには「大義の末」(1959年1月刊)の著書がある。この本は「大義」こそ自分の生きる道と信じて死んでいった軍国少年への鎮魂歌であり、生き残った若者たちの虚脱、絶望を描き、さらに天皇制とは何かと問うた作品である。
城山さんがこの本を出版した1959年(昭和34年)は皇太子のご成婚があリ、テレビの中継の視聴者、推定1500万人を数えた(4月10日)。
また、天皇、皇后両陛下が後楽園ではじめてプロ野球巨人−阪神戦をご覧になっている(6月25日)。
城山さんがきびしく己を問うている時、私は毎日新聞の皇太子妃取材班の一員として駆け回っていた。ご成婚の記事はあまり派手に扱わない方がよいとデスクと議論したことはあった。しかし、城山さんほどではなかった。『渾身の力を傾注して』戦後をいきぬいてきた力の中味の相違であろうか。
荒太君31歳、新婦多恵子さん23歳。宴の終わりに荒太君は『父は家庭を顧みなかった人でしたが、私は仕事も家庭も両立させます』と誓いの言葉をのべた。本来、新聞記者の仕事は寝食を忘れ、家庭を顧みず、働かなければ真実を掴み取ることの難しい職場なのである。会場の出口に立ち挨拶する荒太君にそういって別れを告げた。
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