花ある風景(41)
並木 徹
ことしの9月に70歳を迎えた澤地 久枝さんから「私のかかげる小さな旗」(講談社刊)の著書が贈られてきた。その冒頭に「2000年の秋に」という詩がある。誕生から日米戦争勃発(11歳)、敗戦(14歳)、満州での難民の体験、それから55年、生きぐるしい閉塞的な日本、それにもたじろがずに、私の道をゆこう…と澤地さんの決意がつづられている。その詩は50行にわたる。
高い理想を掲げ、志をもてば、人間に老いなどはない。この若々しい信念に感動した。惜しみないエールを送りたい。詩の一部を紹介する。
―「自衛隊は憲法に違反し
新世紀に日米安保条約は見直されるべき」
このごく常識的な発言をするのに
勇気を試される時代がつに来た
信ずるままを飽くことなく言う
それ以外、わたしのような人間には
生きてゆく道はない−
澤地さんとは昭和49年の夏、毎日新聞の論説委員時代に知り合った。そのころ、澤地さんは婦人公論に「外務省機密漏洩事件」を掲載、国家機密と報道の自由について明快にそして公正に論じておられた。社会部長、編集局長時代にしばしば、毎日新聞の紙上に識者として登場していただいた。会えば、何気なく読んだ本の感想や時事問題に対する批判をされ、私は常に知的刺激を受けた。
この「銀座一丁目新聞」は1997年(平成9年)4月に開設、編集方針は「卓見、異見を吐き、面白く、耳よりの話を伝え、実用的なトークなどを発信、ホームページを通じて平和と民主主義社会の発展に微力をつくすものとする」とした。
民主主義社会にかかせないものは「表現の自由」である。日本の社会はともすれば、自分と相い反する意見をひどく嫌う。本来は反対意見を言う権利を尊重しなければいけない。澤地さんには嫌な体験があるのであろう。
−投げつけられる非難の言葉が
「バカ」であったり「アカ」であっても
それにたじろぐまい
無視され疎外されようとも
わたしはわたしの道をゆこう−
「バカ」「アカ」は論理にゆきづまった時に吐かれる。そういう言葉を発する者の中身が空虚であることを多くの人は知るべきであろう。
本紙はことしのキーワードのひとつに「憲法」をあげた。それは「主権在民」「平和主義」「人権主義」を貫くためである。立場は護憲である。
少年、少女時期を同じく満州ですごしたという親近感があるにしても、14歳で敗戦を迎え、引き揚げの苦労をなめた澤地さんと士官学校に在学中の19歳で敗戦、復員した私とはすべてにおいて同じ意見というわけではない。しかしながら・・・
−いまかかげようとする旗は
ささやかで小さい
小さいけれど誰にも蹂躙されることを
許さないわたしの旗である
かかげつづけることにわたしの志があり
わたしの生きる理由はある−
その小さな旗がいつまでもいつまでも掲げられていることを祈る。
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