2000年(平成12年)9月10日号

No.119

銀座一丁目新聞

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花ある風景(34)

 

 2000年9月3日、傅 亮さんと林 月秋さんの豪華なミレニアム結婚式に招待され、中華人民共和国に行ってきました。

しかし、そこに待っていたのは日本での結婚式との違いに対する驚きでした。

 中国の標準の結婚式は、今、若者の間ではやっている人前結婚式。来賓の前で結婚誓約書を証人が読み上げ、結婚を誓うというものです。そのため、結婚式と披露宴は一緒。盛大な会場で盛大な人数での大結婚式でした。

 ただ、式としては、われわれは見ることができなかった、新郎が花嫁を家(宿泊中のホテルの部屋)に迎えに行き、会場へ二人そろって入場してくるところからから始まります。

 中華人民共和国重慶市最大のフロア会場を持つ五つ星ホテル「海逸大酒店」で、200人を集めた盛大な結婚式。参加者も新郎新婦の親戚友人から、両親の仕事関係のマスコミ関係者、大学教授から助手まで多士済々。本来はもっと招く予定でしたが、入る会場がないのでこれであきらめたそうです。なんとスケールのでかい・・・。

 それら来賓が、ポロシャツやTシャツなどの気取らないかっこうで、来場。特に指定された人でない限り、来た者順に好きな机に座っていく自由な方式。結婚の証書を読む証人でさえポロシャツ。中国側の来賓代表祝辞のかたにいたっては、マスコミ界の要人のはずなのに、T−シャツという、カジュアルさ。これにはびっくりしました。なんと、おおらか・・・。

 もうひとりの来賓代表祝辞、新郎の会社の同僚、上田敦子 嬢の服装は日本の結婚式では普通の姿なのに、着飾って見えるほどです。

 しかし、その人々の普段着姿は、美しい新婦と豪華なウェディングドレス、新郎の趣味の良いスーツ姿をよりいっそう引き立たせるにはとてもよく、新郎新婦がよりめだっておりました。見習いたい習慣ですね。

 スーツ姿の人は、新郎と新郎新婦の父2人と、司会者と私こと新郎の同僚、浅野弘嗣のみです。

ただ、式としては、新郎が花嫁を家(宿泊中のホテルの部屋)に迎えに行く儀式、証書朗読、代表祝辞2人、父母に呈茶儀式、父母から紅包(お年玉袋らしきもの)進呈。天地そして父母に挨拶、お互いに挨拶をし、額、鼻、口と順番に、新郎新婦お互いがくっつけ合う儀式で終了。

 結婚総合プロデュース会社「素人新婚」のプロ司会が、ドラマティックに盛り上げ、会場は沸きに沸きましたが、式辞はいたってシンプル。

 そののち胡弓などの中国伝統楽器の演奏隊が出てきて演奏する中、新郎、お色直しした新婦と両親がお酒をつぎに各テーブルを回って儀式は終了しました。

 その代わり、出てくる食事は豪華の一言。大皿に盛られた数々の中華料理、アヒルの丸煮やら、烏骨鶏のスープ、代わったところではへちまのおひたし、小豆のスープ等々、テーブルに載らないくらいの数々の料理が次から次へとでてき、あちこちのテーブルで、「乾杯(カンペイ)」のかけ声とともに39°のお酒(重慶名物「五糧酒」)で「イッキ」合戦。各テーブルでおのおの盛り上がっておりました。

(中国では「カンペイ」と言うかけ声で、酒を飲み干すのが流儀だそうです。よくこの「カンペイ」でつぶされる日本人が多いと聞きます。中国へ行く方はご用心を。)

 そうこうしてるうちに、テーブルから一人消え二人消えして、来客が減っていく。トイレかとも思っていたのですが、これが、どうも、三々五々解散で、中締めも、終わりの挨拶も無し。しかもカンペイしすぎて、奥さんを会場に忘れて家に帰ってしまう御仁もでるほど。

 ただ、惜しむらくは、中国語がわからないので、ギャグやひやかしが、会場の雰囲気でしかわからず、いつわらってよいやら、拍手をしてよいやら、非常に困っておりました。唯一、来賓代表であり来賓日本人代表の上田 嬢のりっぱな日中友好祝辞のみがわかったくらいです。これは外国語大学の王助教授が同時通訳をつとめてくれて、会場の来賓の方々にも喜ばれておりました。

いろんな意味で、中国の雄大さに、カルチャーショックにあった結婚式でした。

(浅野 弘嗣)

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