現代俳句協会の会長を長くつとめた俳人、横山 白虹さん(故人)について書く。昭和56年、毎日新聞西部本社代表として北九州市に赴任したさい、初めてお会いした。この時、失礼なことを申し上げた。私の趣味が俳句と知って「俳句を作っていますか」と聞かれた。私は「一年に一句つくることにしています」と答えた。横山さんは唖然とされ、黙ってしまわれた。他意はない。俳句は難しいのでそうそう簡単にはできませんと言いたかったのだが、後の祭りであった。
聞けば、一高、九大医学部出身の医者であり、市会議員もされ、現代俳句協会の会長であり、俳句の世界ではえらい人だという事で大恥をかいてしまった。
その後、私の人柄もわかっていただいてひまあるごとに、マージャンをした。
おおらかで、流れるような打ち方をされた。誰にもいばらず、気軽に付合う第一級の人物であった。昭和58年11月、88歳でなくなった。2年余のお付き合いであったが俳句へより一歩ちかづくえにしとなった。
ラガー等のそのかちうたのみじかけれ
横山さんの句で一番好きなものである。
また、作家の森村誠一さんに「俳句というものは、思い切って切り捨てなければだめだよ。捨てて捨ててもうこれ以上は切り捨てられないぎりぎりの残ったものが句になるんだ」と教えたそうだ(横山 白虹全句集のしおりから)。これは新聞文章の極意に通じ私の心に銘記している。
横山さんのあとをついで俳句誌「自鳴鐘」を主宰する夫人房子さんや四女で同誌の編集長の寺井谷子さんから折にふれて句集を出版するごとに私のもとに送られてくる。最近、牧 太郎さんが毎日新聞夕刊で「銀座一丁目新聞」の記事を紹介してくれたおかげで谷子さんからeメールが届いた。それによると、房子さんも妹の日差子さんも元気で、ご主人の宏さんは短大の講師として活躍している。谷子さんも三つの新聞に俳句作品紹介などエッセイを書いているとあった。
白虹さんは子煩悩で小さいころの谷子さんを詠んでいる。
三歳の吾子肩車にす冬木坂
ニコよ!青い木賊をまだ採るのか
谷子さんが白虹さんの俳人としての血を色濃く受け継いでいるように思う。私は寺井谷子さんを日本で指折り数えられる俳人だと十数年前から言いつづけている。
賀詞きいて青衣のひとり泣けばよし(58年5月、白虹)