2000年(平成12年)9月1日号

No.118

銀座一丁目新聞

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花ある風景(33)

並木 徹

 三善 晃さんが初めて書いたオペラ支倉 常長「遠い帆」(脚本高橋 睦郎さん)をみた(8月23日 東京・上野・東京文化会館)。
合唱がすばらしい。まことに新鮮。合唱オペラであった。その合唱団がオーデションで選ばれた仙台市民と聞いて驚いた。年齢は15歳から71歳まで、職業は高校生、大学生、サラリーマンなどさまざま。2年前から特訓に特訓を重ねた。すでに昨年7回の上演を果たしている。姿勢が気になるがそのひたむきさが好感がもてる。児童合唱団もいい。仙台少年少女合唱団は41年の歴史を持つ。

 1613年、伊達 政宗の命で遣欧使節として宮城県牡鹿半島月の浦を出帆する。船は日本人がはじめて作った500トンの洋船である。正使、宣教師ルイス・ソテロ。副使、支倉 常長。常長の父は政宗の不興を蒙り切腹、お家断絶を目前にした大役であった。

 ぼんぼりを高く掲げた児童合唱団が数え歌を歌う。

広い海原果てさして/船出したのは誰のため 誰のため/みちのく陸奥守/よい殿政宗公/言いつけ賜って 船出したのは誰のため/ローマのパーパ様/親しくご会見/支倉六右衛門/支倉六右衛門/苦難の旅のご褒美は/苦難の旅のご褒美は?ご褒美は?支倉六右衛門 六右衛門 船出したのは誰のため

 84人の合唱がオペラを支え、ポイント、ポイントを押さえる。


地上には権力者/いつも/どこでも/人間のいる限り/いつも/どこでも/権力者

 使節派遣の目的は家康は通商、政宗は当時強国であったスペインを後ろ盾に奥州拡大であった。ソロテは日本を東西にわけて東の司教職につく野心を持っていた。
 支倉はローマで洗礼を受ける。人間としてソロテが驚くほど強くなる。
 六右衛門(多田羅 迪夫)とソロテ(伊達 英二)が舞台で力強く歌い上げる。


「後のことはあなたの愛の神が考えてくださるでしょう」「あなたを導いてきたつもりの私があなたに導かれていたのか」

人間この奇妙なもの/暗い時の流れから生まれ/疑いに明け 疑いに暮れ/やがてかならず死んでゆく

 1614年家康、秀忠は切支丹禁止令を出す。この時戦国大名の高山 右近も日本から追放された。7年後の1620年9月、故郷に帰ってきた常長は不遇のうちにこの世をさり、日本に再び戻ったソロテは火刑に処せられる。

 しょせん武士は権力に操られ、捨石にされた上、時代に翻弄される。信仰をもった常長は切支丹禁止令が出ていることを知りながら仙台に帰り、政宗に律儀に帰朝報告をしている。舞台では老いた常長が姿をみせ、子供たちの歌声が重なり合って幕となる。しかし、常長の終焉はなぞに包まれている。切支丹弾圧と無縁ではないであろう。常長の死後一家から多くのキリスト教徒が現れている。そういえば、高山 右近にも17世紀、18世紀にかけて「ウコンドノ」というオペラが作られている。

 このオペラで三善さんが今年6月、第31回サントリー音楽賞を受賞したのは一ファンとしてうれしい限りである。

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