6日は広島原爆忌、9日は長崎原爆忌である。
広島の原爆慰霊碑の石棺には「安らかにお眠りください。私たちは二度と
この過ちは繰り返しませぬから」と刻まれている。(LET ALL THE SOULS HERE REST IN PEACE FOR WE SHALL NOT REPEAT THE EVILS.)
作者は被爆者の一人、雑賀 忠義広島大学教授(故人・雅号南山)。
碑文をめぐって論争がおきている。「原爆慰霊碑を直す会」「碑文を守る会連絡会議」もできている。筆者は雑賀教授の言い分を支持する。
中国新聞(1952年11月11日)によれば雑賀さんの考えはこうだ。
「広島市民であるとともに世界市民であるわれわれが過ちを繰り返さないと霊前に誓うーこれは全人類の過去、現在、未来に通じる広島市民の感情であり良心の叫びである。『広島市民が過ちを繰り返さぬといっても外国人から落とされた爆弾ではないか。だから繰り返さぬではなく、繰り返させぬであり、広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場にたつときは、過ちを繰り返さぬことは不可能となり霊前にものをいう資格はない」
著名人で碑文に異議を唱えたのはインドのラダ・ビノドール・パール博士である。パール博士は極東国際軍事裁判にインド代表判事として参加、裁判官の中でただ一人東条英機陸軍大将らA級戦犯全員の無罪を主張した人である。
元NHK記者、玉木 存さんは1955年8月、第一回広島原水爆禁止世界大会に出席のため来日したパール博士の意見を聞くため原爆慰霊碑の前で合った。その時、碑文を見て博士は静かであったが、怒りの口調でこういった。
「日本がこの過ちを犯したというのか。この言葉は間違っている。謝らなければならいのはアメリカ人です」(1998・9・10 日本記者クラブ会報236号より)
同じ会報の玉木論文にノーベル平和賞受賞者のボイド・オア卿が碑文に感銘を受けて「過ちを繰り返すかどうかは私たちの責任である。世界は口をそろえて一つのことをいわねばならぬ。『戦いはこれを最後 にしなければならぬ』と」と言ったことが紹介されている。
碑文の感想はその人の立場によって異なる。だが、作者の雑賀教授が昭和20年8月6日広島で被爆した事実を重視せざるをえない。「広島が言わせる言葉」がある。作家の竹西 寛子さん(1929年広島生まれ)はその典型として原 民喜の「夏の花」をあげる。竹西さんはこうも書き記している。
「原 民喜は貴重な資質と意思とによって意味づけない広島を遺し得た稀有の人である。眩しく恐ろしい人類の行方についてあらゆる討議の前に一度は見ておかなければならぬもの、一度は聞いておかなければならぬものがここにある」(1974・2 新潮社刊「ものに逢える日」所収)
碑文を論争する前に原 民喜の「夏の花」を繰り返し読むことをお奨めする。
ギラギラノ破片ヤ/灰白色ノ燃エガラガ/ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ/アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム/スベテアッタコトカ アリエタコトカ/パット剥ギトッテシマッタ、アトノセカイ/テンブクシタ電車ノワキノ/馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ/ブスブストケムル電車ノニホヒ
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