2000年(平成12年)7月1日号

No.112

銀座一丁目新聞

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花ある風景(27)

並木 徹

 

 井上 ひさしの2年ぶりの新作、こまつ座の「連鎖街のひとびと」(演出・鵜山 仁)を東京・新宿・紀伊国屋ホールでみた(6月22日)。
 大連にいた人であれば、連鎖街といえば、なつかしい思い出がいっぱいあるであろう。旧制中学校をこの地で過ごした私は友人とよくこの商店街をぶらついた。本屋もおしるこ屋も映画館もあった。友人の瀬川 浩二君のお母さんが「あけぼの」という喫茶店を経営していたことがある。旅順工大に在学中の瀬川君は大連から九州に引き揚げたあと、ここにコーヒーを飲みにきて母親が知り合った人の縁で横浜に根をおろし工場経営者になった。「一杯のコーヒー」が生んだ涙なくしてはきけない人情話が秘められている。
 お芝居はシベリアの一本のリンゴの木から始まる。
《時》昭和20年(1945)8月末の2日間。
記録によれば、ソ連軍が大連に進駐してきたのは8月22日、ソ連軍の規律は悪く、略奪の限りを尽くした。8月の末ごろも街は荒れていたであろう。しかも日本への引き揚げは見通しがたたなかった。
 舞台は連鎖街の一角にある今西ホテルの地下室でくりひろげられる。
 軍政を敷いているソ連軍にみせる芝居づくりに、新劇の劇作家の辻 満長と大衆演劇の劇作家の木場勝己が頭を悩ます。
「芝居はすでにできている」 「表向きはできていることにしておく」 「裏では死にもの狂いで考える」「そうやって時間をかせぐしかない」というセリフがとびだす。遅筆の井上 ひさしさんがいつもいっている言葉のようで笑いを誘う。
 シナリオは作曲家の高橋 和也と女優の順 みつきを結びつけるため一本のリンゴの木をタネに仕上げてゆく。シナリオを考える道筋がうかがえて面白く感じられた。朴 勝也のピアノを聞いて友人のピアニスト草場 銀典君を思い出した。中学校の講堂にあったピアノで時折、ドボルザーク、ショパンなどをきかせてくれた。夏休みには東京まで出かけピアノのレッスンを受けていたと聞いた。その草場君もいまはこの世にいない。
 そういえば、井上 ひさしさんの口上書にでてくる三船 敏郎さんもいなくなった。三船さんとは昭和62年10月、大連で日本映画祭が開かれた際、ご一緒した。お父さんが経営していた三船写真館は連鎖街の近くにあったが半分取り壊されていた。三船さんはなつかしそうで、何かさびそうでもあった。
 お芝居は笑い通しであった。題名通りあの人、この人が連鎖のごとく出ては消え、消えては出てきた。

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