2000年(平成12年)1月20日号

No.96

銀座一丁目新聞

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 ニユーヨークに居を構え,国連関係の広報の仕事をしてきた友人の中村恭一さんが昨年8月,国連の広報担当アドバイザーの資格でコソボへ赴任した。このほど、中村さんからコソボの近況を伝える手紙が届いた。4回にわけてそのコソボ便りを掲載します。なお中村さんは今年の秋ごろまで当地にいる予定です(牧内記)

コソボ便り(1)

中村 恭一

 1989年以来ミロセビッチによる弾圧の下で息を殺して生活していたコソボの首都プリステナは今すざましい活気に包まれています。その様は圧力釜に密封されていたエネルギーが一気に解放されたようで,町の復興再建にかけるすざましい意気込みとなり、あるいは2度と絶対にセルビア人に屈しない覚悟の気迫ともなって町を満たしています。国際社会が認知する政治的独立や経済的自立にはほど遠いコソボですが、民族の自尊心はとっくにセルビアから独立しているとみざるをえません。

 私が到着したころは、NATO軍を中核としたKFORと呼ばれる国際軍の大型戦車がカタビラをうならせながら町といわず、村といわずつっ走り、戦車の砲身は空ではなく臨戦態勢の水平位置に据えられたまま。そして銃の引き金に指をかけた重装備の兵士の姿が炎天下の町のあちこちに見られました。地方へ出かけると、破壊されたセルビア軍のコンボイが道路脇に黒焦げになってひっくりかえり、幹線道路の橋はいたるところで破壊され、車は今にも横転しそうになりながらぬかるみの川床にくだってはまた道路に這い上がるということを繰り返してきました。

 しかし戦車も兵士も平時の態勢になり、道路は穴ぼこだらけのままながらも、橋は修復されました。今目につくミロセビッチとの戦いの名残はプリスチナでいえば破壊されたままの治安本部や電電公社ビル、そして地方では焼き討ちに遭ってレンガの外壁だけを残して崩れ落ちた民家の姿だけとなりました。これらの民家も日本とフランス、それにUNHCR等の復旧活動により、何とか風雪をしのぐ部屋を確保してマイナス10数度にもなるといわれる内陸性高原気候の厳しい冬を迎える態勢を整えつつあります。日本のNGOの若者たちがこれら越冬対策の最前線で活躍する姿を見ていると、最近厳しい批判の対象となっている日本国内の若者は明らかに別世代のようです。



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