1999年(平成11年)4月1日

No.70

銀座一丁目新聞

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味ファッションは一過性?

山崎れいみ

 何でもありの若ものファッションに、最近いささか異変が起こっているようです。お気付きじゃありませんか、一見リクルートスタイルの地味服の女の子がやたら目に付くのに――。

 中にはホントに就職活動中という子もいるんでしょうが、しかしこの時期では少々早い。しかも中高生ぐらいのまだあどけなさの残った女の子が地味めの服を着て渋谷、原宿を歩いている。どう地味かというと、オールドファッション感覚の黒っぽいスーツに、必ず白の開襟シャツの襟を出して着ている、というあれです。

 あまりにも何でもありの感じが続いたから、逆に自由を押さえ込むような枠のある“決まりのセンス”が欲しくなったのかしら。

 自由というものは気軽に見えるけれど、実は重い責任や制約に裏付けされた自由でなければ本物じゃない。従って現実に暮らす中ではそれ相応の枠が生じる。彼女らの地味ファッションがそんな枠から生まれたとは考えにくい。となれば――。

 さる服飾評論家の言によれば「枠は枠でも自分のこの好みの枠を作って楽しんでるってのが彼女らの姿勢。それが証拠に何の工夫も感じられない白襟出しの黒のスーツでしょ。足元見たら底高靴でおっかなびっくりで歩いてる。こんな枠が丈夫で長持ちするわけない。

 暖かくなればまたぞろ何でもありですよ」。

 とくに若い女の子は、ハデハデより地味ファッションの方が若々しく健康的で美しく見えると思っているおばさんとしては、やっと彼女らも何でもありから抜け出してくれたかと胸なで下ろしてたのに、この評論で一気にガックリ。しかし、街角ウォッチングするんだったら何でもありの方が変化があってオモシロイ、と考え直しているところです。

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