1999年(平成11年)4月1日

No.70

銀座一丁目新聞

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小さな個人美術館の旅(64)

前田真三写真ギャラリー拓真館

星 瑠璃子(エッセイスト)

 雪に埋もれるように、拓真館はひっそりと建っていた。

 そろそろ4月の声を聞こうというこんな季節に、タクシーを降りるとぶるっと来る寒さだ。けれども館内に入れば陳列室はふんわりと暖かく、あの懐かしい前田真三の丘の写真が色とりどりに掛けられて、まるで花園に降り立ったようだ。

 北海道美瑛(びえい)は、どこまでも果てしなく続く美しい丘陵地帯。いまではこの丘の写真を見たことのない人はいないといってもいいくらいよく知られている。美術館を訪れる人は年間三十万人を越えるというが、前田真三が美瑛と出会った頃は、まだだれも知らない辺境の地だった。

 東京・八王子生まれの前田が初めてここを訪れたのは、1971年のことという。十七年間勤めた総合商社を辞め、四十歳を過ぎていわば脱サラで写真家への道を歩み始めた前田は、九州最南端の佐多岬から北海道北端の宗谷岬まで二万キロを走破する三ヵ月間の撮影行に出た。その帰り道だった。旭川から富良野にいたる美馬牛(びばうし)峠付近の丘に連なるカラマツ林の美しさに打たれてしまったのは。以来、二十年以上にわたってこの地を訪れ、北の大地、わけても美瑛の四季は前田のライフワークとなった。やがて私費を投じ廃校となった小学校を譲り受けてギャラリー拓進館を開き、隣りには自宅も建てて移り住んだのである。

 ギャラリーは窪地にあるので、広々とした事務室から裏の丘へと続いてゆく白樺の林を見上げるような形になる。というより館そのものが夢のような白樺の林の中だ。西には広大な畑の向こうにやさしく連なる丘、東は牧場のかなたに十勝連峰の白いつらなり。全ては白一色の幻想世界である。

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前田真三写真ギャラリー拓真館

 「なんてロマンチックなんでしょう」

 と思わず声を上げれば、館長の今野栄喜さんが言う。

 「初夏の美しさなどは、もう何と表現していいか分からないほどですよ」

 ここへ来るタクシーの運転手もそう言った。帰りはスクールバスに乗せてもらったのだが、そこでも同じ言葉を聞いた。土地の人々がみんな、憧れに満ちた目でそう言う。 

 前田真三がこの地で病いを得、旭川の病院で手術を受けた後、東京の自宅へ戻って亡くなったのは昨年、1998年11月のことだった。

 「どんなにか、ここへ帰っていらっしゃりたかったでしょうねえ」

 と私が言うと、今野さんはとても静かにこう答えた。

 「先生の代表作に日没前のドラマティックな色彩を捉えた『麦秋鮮烈』があります。そう、さっきごらんになったあの作品です。深く青い空と麦畑の緑や黄の帯に挟まれて輝く真紅の丘。生涯に二度とめぐりあえない感動的な赤い閃光、と先生は生前おっしゃってられたのですが、あの作品がちょっと褪色してきたので焼き直してかけ変えていたのですよ。もう来館者もいない暮れ方でした。ガタガタと扉を開ける大きな音がして、だれかがこっちへ歩いてくるんです。だれだろう、いまごろ。と部屋を出てみたのだけれど、だれもいない。不思議なこともあるものだなあ、と思ったのですが、翌朝、先生の訃報が届いた。あのガタガタという音がした時間に、亡くなっていたのです。そう、あれはたしかに先生だった。どうしてもここへ帰って来たかったんですね。あるいはお別れに来て下さったのかなあ」

 やわらかな夕日に照らされてうっすらとピンクに染まる丘を眺めながら、帰路についた。さっきの今野さんの言葉を思い出しながら。これは別の方だけれど、その方が亡くなったその夜その時刻に、大きな白い鳥が月に向かって飛び立ってゆくのを確かに見たと必死に言い張った人のことも思いだした。岩手県八幡平の森の家で、バサバサとすごい羽音に家を飛び出して「確かに見たんです」とその人は深い目の色で、そう言った。幸せな人たち。私には、逝ってしまった人はどんな形でも帰ってはこなかった。

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前田真三写真ギャラリー拓真館

 美瑛から旭川に出てそこで一泊。翌日は網走まで列車にゆられて、もう一泊。網走からは釧網線で釧路に着いた。見渡すかぎりの雪原にシルエットとなって蕭条と立ち並ぶカラマツの列や、流氷のオホーツク海ぞいのどこまでも真っ白な世界は、心の底まで氷りつくような「冬の旅」であった。けれども、雪はわずかに溶けはじめ、時折ちらりと黒い土がのぞいたりした。厚い氷がとけて、川が静かに流れ始めているところもあった。春は、確実にそこまで来ているのだった。

住 所: 北海道上川郡美瑛町字拓真  TEL 0166-92-3355
交 通:

JR富良野線美瑛駅からタクシー15分

休館日: 年中無休

星瑠璃子(ほし・るりこ)

東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。旅行作家協会会員。著書に『桜楓の百人』など。

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