2015年(平成27年)2月10日号

No.635

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追悼録(551)

一字の師 陳舜臣さんを偲ぶ

 亡くなった作家陳舜臣さんは生前一度もお目にかかったことはなかった(1月21日死去・享年90歳)。本の上だけのつきあいである。陳さんが中央公論社から出された『弥縫録 中国名言集』(昭和61年10月10日発行)を愛用している。「君子危ふきに近寄らず」が論語の言葉かと思っていた。この本に中国の古典のどこにもそのような言葉は見つからないと指摘してあった。日本製かもしれないという。言葉は出典をよく調べよとの教訓を得た。たとえば「初心を忘るべからず」である。この言葉は世阿彌の「花鏡」に『当流に万能一徳の一句有「初心忘るべからず」』とある。その意味は「学び始めた当時の気持ちを忘れてはならない。常に志した時の意気ごみと謙虚さを持って事に当たらねばならないの意」と『広辞苑』(岩波書店・平成3年11月15日第4版1刷発行)は記している。私もそう思っていた。

 さらに調べてみると、そうではないと劇作家山崎正和さんがその著書『変身の美学』(中央公論・山崎正和著作集・4)で言っている。「けっして初心の真面目な覚悟や情熱を忘れるなという道徳的な教えではない。むしろ初心の芸がいかに醜悪であったか、その古い記憶を現在の美を維持するために肝に銘ぜよという忠告なのである」。山崎さんは続ける。「たんに習道者の怠慢を戒める言葉としては、これはいささか残酷すぎる教訓といはなければならない。現在の水準を維持するために世阿彌は美しい未来の夢よりも過去の醜悪な姿を思い出せと薦める」なるほど、世阿彌の言いそうなことである。山崎さんの解釈が正しいように思う。広辞苑の解釈は変更した方がよい。

 陳舜臣さんで印象に残るのは「一字の師」である。
 晩唐の時代、僧斉己が「早梅詩」を詠んだ。
  「前村、深雪の裏
  昨夜、数枝開く」

 これを見た詩人、鄭谷が「数」を「一」に直した。「早咲きであるから数枝より一枝のほうが確かにしまった感じがする」それゆえに鄭谷を『一字の師』と言われたと書いてある。こんな経験をした。

 2年程前ある雑誌に友人の葬儀の際に読んだ弔辞を掲載した。「俺もあと34年後にそちらに行く。もうしばらく待ってくれ。合掌」と締めくくった。私が一応120歳まで生きるつもりだからそうした。最終校正で担当者もそれを確認した。ところが雑誌が出てみると、『三十四年後』が『三、四年後』に直されている。「十」と「、」とは大違いである。「三十四年後」には筆者の生きざまが込められている。心無い訂正であった。常識が生んだ誤解とは言え「一字の師」はそうそういない。陳舜臣さんのご冥福をお祈りする。

(柳 路夫)