2015年(平成27年)2月10日号

No.635

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安全地帯(455)

信濃 太郎


川口京子さんの歌のコンサート


 北風が吹く2月初めの日曜日、川口京子さんの「新春おたのしみコンサート」に行く(1日・場所・吉祥寺武蔵野公会堂)。なんとチッケト完売。332席が満席というコンサートは初めて。川口京子さんの人気抜群のようである。お客さまは中高年がほとんど、それも女性が多かった。

 歌った歌は24曲。そのうち15曲が常連のお客さんのリクエストであった。
 舞台に登場した川口さんはボーイシュな髪形に黒い三つ揃いの背広姿。弁舌なめらかでユーモラスな方であった。

 プログラムは「冬の星座」(詞・堀内敬三、曲・ヘイス)から始まる。歌ごとに解説が付く。「スーダラ節」(詞・青島幸男、曲・荻原哲晶)は植木等顔負けの所作を交えての熱唱。客席を沸かす。植木の大フアンで幼稚園児の時、この歌をみんなの前で歌って爆笑をかう。とりわけ二番に思い出が深いという。「ねらった大穴 見事に外れ 頭かっときて 最終レース 気がつきゃ ボーナスァ すぁからかんの カラカラ・・・」父親が大の競馬フアンだったとか。東京競馬場のある府中市に住む私には身につまされた。「分ちゃいるけれど やめられねェ」は身にしみる。

 「月の砂漠」(詞・加藤まさを、曲・佐々木すぐる)は絶品。素直な清らかな声、高い声が心に響く。声はその人の性格・人生観・体調などが分かるといわれる。とすれば、川口さんのユーモラスな性格は仮の姿で案外凛とした孤独を愛する人と感じた。中学時代大連で寄宿舎生活であった。蒙古から来た王族の少年から「蒙古進軍歌」を蒙古語で教わった。その代りに「月の砂漠」を教えた思い出がある。次に感じ入ったのは「中国の子守歌」(編曲山田耕作)。この子守歌は岡山県の最西端井原市高屋町から発する。川口京子さんの師匠上野耐之さんが山田耕作に編曲を頼んだことで有名になったといういきさつがある。元歌とともに歌う。元歌「ねんねさせましょ今日は二十五日 明日はこの子の誕生日 誕生日には豆の飯炊いて 一生この子のまめなように 一生この子のまめなように ねんねんねんねん ねんねんや」江戸子守歌と大部違う。それにしても昨今、子守唄が聞こえなくなったのはさびしい。

 最後の歌「逢いたい」(詞・永六輔、曲・穂口雄右)。「逢いたい」「逢いたいね」を73回繰り返すだけである。歌唱力がなくては歌えない。しかも聴衆をあかせないようにしなければならない。見事歌い切った。私は川口京子さんの顔を見つめるだけであった。常連客のリクエストの歌である「ゴンドラの歌」(詞・吉井勇、曲・中山晋平)を当然の如く歌う。大正4年ツルゲーネフ原作「その前夜」の主題歌であった。松井須磨子が歌った。それから100年目の今、歌い継がれている。「命短し 恋せよ乙女 紅き唇 あせぬ間に・・・」歌は魔もの不思議なもの、百年経ても歌われる。その命はまことに永い。

 川口京子さんの父はNHKの元会長の川口幹夫さん。2,3回パーティであったことがある。その人が競馬フアンであったと知らなかった。昨年11月88歳で亡くなった。生きておれば「素晴らしい娘さんですね」と世辞を言うのだが・・・