2014年(平成26年)10月20日号

No.624

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花ある風景(539)

 

並木 徹

 

五輪の会の楽しい集い 

 主に湘南地区に住む同期生の集まり「五輪の会」に出席する(10月13日・場所大船駅前中華料理店)。台風19号が迫っている雨の中、参加者は20名。別所末一君は軽井沢から参加した。各自それぞれ近況を述べ合う。新しい知見もあり意外な話もあり面白く拝聴した。小林次雄君が12日、南相馬市原町区陣ヶ崎公園墓地で行われた特攻戦没者並びに地元の戦没者の慰霊祭に出席した話をする。ここには陸軍原町飛行場があって航空士官学校の学生たちの訓練が行われた。99式襲撃機や97式重爆機飛行訓練を重ねた学生たちが巣立った。昭和19年5月以後は特攻隊が編成された。特攻関係戦死者344柱、地元戦争物故者465柱。陸士58期生の襲撃班20名は1ヶ月ここで訓練を受けたのち満州での飛行訓練のため移動した。その一人・八牧通泰さんを予科時代対称区隊に居た小林君が戦後知り合い交流をすすめるうち原町飛行場で訓練、散華した特攻隊員たちの事績を知った。昭和46年8月に第一回を開いて以来、毎年慰霊祭を開催しているという。「命をなげうって国のために散華した先輩たちの事を永久に伝えたいと思う」と語る。このほど奄美大島出身の女性が博士号を授与されたお祝いの会に出席した指宿清秀君は、博士号に薀蓄を傾ける。博士号の論文はすべて大正12年から国立図書館に保管されているという。その数57万点を数える(今は関西館に保管)。手続きさえすれば博士号の原論文は誰でも見ることができるという。

 医者の永井一成君は航空士官学校生徒隊長であった立山武雄大佐(陸士31期)の息子さん立山尚武さん(陸士60期・建築家)とたまたま7高で一緒であったので洋光台の病院の設計・建築を総べて任せた。立山親子二代にわたってお世話になった。人の縁は不思議なものだと述懐する。笹路能也君は日本手ぬぐい造りに65年。このほど表彰された、その時、出した書類にはその道40年としたのにそれでも一番古かったと苦笑する。その染色は素晴らしい。平成25年9月、59期生会が解散大会を開いた際にも参加者全員に日本手ぬぐいをお土産に頂いた。今回もプレゼントしてくれた。隣に座ったのが浜崎清文君。いまなお太極拳を女性に教えている。浜崎君の叔父が浜崎真二だという。早速、毎日新聞の友人たちが出した『野球博覧』を翌日、浜崎君へ郵送した。浜崎真二さんのことも書いてある。

 最後に世話役霜田昭治君から頂いた資料に真藤恒さんの「人間、人と会わないと発想が止まる」と書いてあった。その通りである。私はさらに頭が固くなって書く意欲もなくなってしまう。欲を言えば会う人は行動力があり発想力豊かであればいうことはない。