2011年(平成23年)9月10日号

No.514

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追悼録(429)

平成23年度毎日新聞物故社員追悼会


 毎日新聞社の今年の物故社員追悼会に参列する(9月5日・毎日ホール)。今年新たに合祀された霊は東京・大阪・西部・中部各本社合わせて160柱(合計6917柱)。交友に濃淡の差はあるが同じ職場で働いた先輩・同期生,後輩は20人に及ぶ。この中で告別式に出席せず不義理をしたものも少なくない。まことに慙愧に堪えない。追悼会が終わって、祭壇に2列に並べられた物故社員の遺影を一人づつ拝見する。察回り同期の高橋久勝君(86)が飛び込んでくる。祭主祭文の中で下山事件の際、活躍したと述べられていた。一緒に入社した察回りの同期生は私一人だけになってしまった。小峰澄夫君(87)は名前のみ読みあげられた。すでに毎日新聞を去って33年。彼を知る現役は一人もいるまい。皇太子妃取材では活躍した一人である。

 陸士の同期生森川克己君(84)もあった。整理部で社会部の私とは接点が少なかった。それでも毎年年賀状だけは欠かさず取り交わしていた。ウサギを配した青色の布を貼った年賀状には「ご健勝をお祈りします」とあった。論説室で一緒であった厚川正夫さん(95)。経済部では東京証券取引所のクラブが長く整理部でも株の欄を担当していた。「会社四季報」を見てさらさらと内職原稿を書いていたのを思い出す。

 「エコノミスト」編集長、論説委員長の山本進さん(92)は定年後、日本記者クラブによく顔を出し、内外著名人の記者会見に出席、絶えず勉強を怠らなかった。「日本記者クラブに通うのが健康の秘訣」と言っていた。実弟・牧内敏夫君(79)の遺影は二列目左から4番目にあった。亡くなった人々の想い出は尽きない。心からご冥福を祈る。

 「秋驟雨我のみ残る追悼会」 悠々


(柳 路夫)