2011年(平成23年)9月10日号

No.514

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山と私

(78) 国分 リン

― 山の女神が微笑んだ「出羽富士・鳥海山」 ―  

 加賀に白山があるように、出羽には鳥海山がある。どちらも孤立した大きな山容を
日本海に向けていて、冬の季節風によって多量の雪が降る。山は雪を厚くまとって白く輝き、真夏にもそのいたる所に雪渓を残している。早朝の車窓からくっきりその姿を現し、湯の台に着いた時には多くの雪渓も模様を描き、歓迎してくれていた。

 山は刻一刻と変化している。昨年と同時期に同じコースを登っているのだが、まるで違う山を登っているようだ。2年続けて同行したKさんと「もう一回最後と思い挑戦しよう。」「あとはお天気次第ね。」普通ならまだ梅雨の時期の計画に不安だったが、今年は一週間も早い梅雨明け宣言に喜んだ。

 7月16日 22時丸の内北口の夜行バス乗り場は節電のため薄暗く、車のライトが眩しいようだ。3列シートの夜行バスはゆったりとしていて眠れた。

 7月17日 5時鶴岡到着で目が覚め、カーテンを開けると雲一つないお天気だ。酒田に近くなるほど鳥海山は出羽富士と呼ばれているが素晴しい。このお天気を逃さず絶対登るぞと気合が入った。6時酒田バスターミナル到着し、予約していたタクシーで鳥海高原ライン終点に7時20分到着。広い駐車場は満車で道まで溢れ、大勢の登山客に驚いた。連休とこのお天気のためらしい。避難小屋で朝食を済ませて8時出発。その時湯の台休暇村から山道を登ってきた若い男性リーダーに連れられた小学生と親の20人ほどの団体に出会った。林道が出来る前は皆歩いて登ったことを確認できた。滝の小屋は改修され、立派なバイオトイレも設置されていた。小屋の主が「お天気で良かった。雪渓は大雨で少しは小さくなったよ。」と通りかかる登山客に教えていた。川を石伝えに渡りいよいよ登りになる。この時期鳥海山は高山植物の宝庫、ヨツバシオガマのピンクとニッコーキスゲの黄色が心を休ませ、それにまして日本海と酒田の町並みも見え、今まで何度か登った道とはまるで感じが違う。河原宿に9時40分着いた。ここもお花畑でキンポーゲやチングルマの群落が咲き乱れていた。喉を潤し、トマトをかじりながら前方の大雪渓を見たら、不安になり、お花を撮る余裕も無く登ろうと出発した。白馬の大雪渓は昨年登ったが、この鳥海山の雪渓登りはもっと長く、アイゼンを付けひたすら登るが、クレパスが一部あり、そこを回り込み、斜面もきつく、また霧で視界が遮られると何も見えず心配になる。でも今回はすぐ霧が晴れ、前後に登山者が見えルートもはっきりしている。小雪渓になり周囲を見渡すと、尾根道に黄色のキスゲの群落が見える。「余裕があれば写真が撮りたいな。」でもまだ先が長い。とりあえず登ることを優先しようと言い聞かせた。雪渓を登り終え、薊坂の岩ゴロの急騰を登りきり、12時30分になり、下山者に「まだまだですか。」「いやもうひと登りだよ。」の返事に元気が出た。賑やかな声が聞こえ、御浜小屋からの合流点に着き、初めて新山(頂上)が姿を現した。ここからは気分も爽快な尾根歩き、チョウカイアザミの大きな花や、チョウカイフスマの清楚で白い花を目に留め歩いた。360度の眺めに満足しながら伏拝岳から行者岳わきの鉄梯子で下り、大きな岩を数個渡り、大物忌神社へ到着。大勢の登山客が思い思いに休憩していた。ここに宿泊して、朝一の影鳥海が目的らしいが、小屋は混雑で大変。ここから新山頂上まで岩の道をひたすら登り、大きな岩を回りまた少し登ると頂上(2236b)に13時50分到着。思わずKさんと握手。5度目にして初登頂。やったあ!辛い雪渓の登りもこれで満足。

 ゆっくりしたいが下山しなくてはいけないので頂上小屋の広場へ降りた。珍しい花を見つけた。北海道でたくさん咲いていたイワブクロの薄紫の花が咲いていた。嬉しかった。
 せっかく登った鳥海山、名残も尽きないが下山開始、雪の下りは早く、上りの半分の時間で下山した。16時河原宿、17時半鳥海高原ライン終点到着、今回の鳥海登山を無事終えた。

 相性が悪い山は誰にもあると思う。何度計画を立てても悪天で中止に、体調を崩し登れない山がある。私は過去4度も鳥海山に登り、いつも途中、時間切れや急変した天候で雨や雪にあったために撤退した。3度の同コースでの挑戦は、コースタイム等から日帰り可能と考え計画したが、このコースタイムは若者向きで、私は登りに1.5倍もかかったのは私の体力不足かと反省しきりである。鳥海山登山は、9コースもあり、良く調べて、楽しく登れるコースでもう一度トライしたいと思う。