2011年(平成23年)8月1日号

No.511

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花ある風景(426)

 

並木 徹

 

 新幹線をめぐる話

 
 毎日新聞時代の友人堤哲さんから交通ペンクラブの30周年記念号「交通ペン」(2011・7月号)が送られてきた。新幹線をめぐる事故の記事が少なくないのに気がついた。東日本大震災の関係であろう。毎日新聞で一緒に仕事をした古林肇道さん(現小田原・城源寺住職・86歳)が自分の特ダネの話とともに開業10ヶ月後の昭和40年8月下旬に起きたディスクブレーキがすっ飛んだ事故を明らかにしている。新大阪発上り東京行き「ひかり2号」が新横浜を通過して大倉山に差し掛かろうとした時、8号車「グリーン車」の前方主軸が大空転してディスクブレーキがバラバラに飛び散った。車輪の両側にあったディスクブレーキの欠片が車両の床を貫いて客席をこわし天井に十数か所の穴が開いたという。本来乗車するはずのアメリカの団体客が予約をキャンセルしたため大事に至らなかった。この時お客に怪我をさせていたら操業早々新幹線の「安全神話」は消し飛んでいたであろう。

 読売新聞の初田正俊さん(72)が「新幹線と安八水害」と題して先人の知恵「輪中」に言及している。昭和51年9月に起きた台風17号による記録的な大雨により岐阜県安八郡安八町の東海道新幹線長良川鉄橋の下流300mの地点で右岸の堤防が決壊、濁流が安八町に全域流れ込む。浸水家屋1200世帯に及び、新幹線高架部分に隣接する羽島変電所を飲み込んだ。このため送伝不能となり列車がストップした。2日後の列車は運転を再開したが、羽島変電所が動かないためしばらくの間一定区間で間引き運転を余儀なくされた。安八町は濃尾平野を流れる長良川と揖斐川に挟まれて低地で、昔から河川の氾濫でしばしば水没被害を繰り返してきた。住民は鎌倉時代末期から集落ごと堤防を囲う「輪中」を築いてきた。明治時代に木曽川、長良川及び揖斐川の三川の大規模な治水事業により水害が激減したため、輪中の必要性は薄くなり、逆に道路交通に支障をきたすとして多くが削り取られたり取り壊されたりした。また戦争中の食糧難によって比較的上流にある輪中は次々に田畑にされてしまった。

 これまで「輪中」で水害に備えてきた安八町に変電所を作るにあたって水没の事態を考えなかったのか、国鉄の担当部局の考えは次のようであったという。「建設当時は、すでに長良川には100年に1度の出水にも耐えられる頑丈な堤防が完備していたのでまさか破堤するなど考えられなかったのではないか」。

 自然の脅威の前に「想定外」と言う言葉は無意味である。歴史を無視するものは暦史に反逆される。戦後66年日本人は昭和20年8月15日以前のことはすべて悪いものとして忘却してしまった。残念ながらそのつけを今受けている。