2011年(平成23年)8月1日号

No.511

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

安全地帯(329)

信濃 太郎


「なでしこジャパン」と時代の流れ


 東日本大震災が起きた3・11以前と以後、時代の流れは変わった。その中で7・18「なでしこ・フイバー」が起きた。なでしこジャパンの選手たちは震災の被災者の思いを胸に刻んでいた。復興に立ち上がる被災者の人々から無限の力を貰い、彼女らもまた頑張る力を与えていた。それはアメリカ選手が言った「日本チームの背後には大きな力があった」と言う言葉でいみじくも表現された。私は今回の快挙は大震災がもたらした目に見えない無限の力のおかげだと思う。スポーツの世界では実力以上のことが起きる。

 「なでしこジャパン」は今の日本の政治に求められるものをすべて備えていた。菅直人政権の足らないものを見事に示した。とりわけ沢希穂選手の「リダーシップ」は見事であった。点を取られてもすぐ取り返す「あきらめない粘り」は驚異的であった。各個人の選手たちの『自覚と責任感』も印象に残る。評論家大宅壮一さんが「芸能(スポーツニュースも私は含める)は政治現象を先取りする」といった。とすると、日本サッカー史上初めての出来事は菅政権に代わって新たにリダーシップある政権が誕生するというのであろうか。いたずらに政権の座にしがみつくのは『あきらめない粘り』ではなく、「悪あがき」と言う。自覚のない無責任な政治家の取る態度である。

 なでしこと言う言葉には「慎みのなかに一本芯がある凛とした響きを感じる。「なでしこジャパン」の愛称は一般公募により2004年アテネ五輪出場後に決まった。

 なでしこは秋の七草として天平のころから人々に愛されてきた。歌人・山上憶良は万葉集に歌う。「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七くさの花 其の一」(巻8・1537番)「萩の花尾花葛花なでしこの花女郎花(おみなへし)また藤袴朝がほの花其のニ」(巻8・1538番)。歌人・大伴家持も万葉集になでしこの歌を残す。「わが屋前(には)のなでしこの花盛なり手折りて一目見せんむ児もがも」(巻8・1496番)。我が子をなでしこのように芯の強い子に育てようという親の願いを歌ったのであろうか。

 今年はなでしこの花が震災からの復興を願う花の象徴としてもてはやされる気がする。時代が求めた花である。

 なでしこの花言葉は『純愛、才能』である。昭和の歌人鳥海昭子は歌う。「八月の川原に咲くナデシコの涙ぐましよ今もむかしも」。なでしこの花は今も昔も強かった。

 「敵撃破乙女美しなでしこ花」(悠々)。