2010年(平成22年)12月1日号

No.487

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安全地帯(304)

俳句は憂さの捨てどころなり
 

俳句の本は良く手にする。手元にある「風の言葉」−九州俳句歳時記―にこんな句がある。

「12月8日の海岸線がある」(角谷憲武)

昭和10年生まれ。工業高校の先生。戦争が始まった時は6歳である。寺井谷子さんは「瑞々しい少年の心に焼きついた戦争を原点とし≪8月の海へ喇叭を吹きにゆく≫≪被爆図に木の実一つが置かれいる≫など常に社会と歴史への視点を持続しつつ作品を書いている」と評する。

 この12月8日には私は同台経済懇話会主催の講演を聴く。講演者は駐日ミャンマー大使である。折に触れて知的刺激をうけるよう心がけている。

 今年3月、「銀座俳句道場」を止めてからやや緊張感を無くした感は否めない。「この道は憂さの捨て所冬の暮れ」―悠々―。いずれにしても俳句は寡作である。久保田万太郎のように感じた事、そばにあるものがすぐに「俳句」にはならない。

「墓ぬらす雨ふるなり年の暮れ」(万太郎)

終戦
「何もかもあつけらかん西日中」(万太郎) 

 友人の荒木盛雄君と霜田昭治君と一緒に金閣寺客殿障壁画完成記念の「岩沢重夫展」を見に行った(10月28日)。金閣寺の住職、有馬頼底師が平成16年に制作を依頼して5年を費やして完成したものである。金閣寺客殿1偕の3部屋に描かれた襖絵など障壁が61面を一挙に公開された。「抽象の桜」など素晴らしい絵を堪能した。さらに私は山を描いた雄渾な画に心を奪われた。「渓韻」(1922年製作)「天水悠々」(2003年製作)にはその場を立ち去りかねた。

 荒木君がすぐに感想の俳句を送ってくれた。
「抽象の桜襖絵金閣寺」
「百態の鳥飛ぶかなたに虹立てり」
「清秋の渓に水音響もせり」
「山眠る遺作となりし障壁画」

 今年特記すべきは同期生、川口久男君の句集を友人の安木茂君と出したことである。ずぼらな私としては安木君の熱意に動かされたと言うほかない。

「荒ぶるも照るも冬帝のままに」  徹也

今年、嬉しかったのはひそかに応援しているフルート演奏者、竹山愛さん(東京芸大大学院)が「日本音楽コンクール」のフルート部門で第一位入賞だ。

「若い芽は大輪の花めざし薄紅葉」―悠々

12月と共に忘年会シーズンに入る。場所はホテル、小料理屋、中華料理店などである。
「こてんっぱん亡国宰相や年忘れ」−悠々