1998年(平成10年)10月1日(旬刊)

No.53

銀座一丁目新聞

 

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ゴン太の日記帳 (19)

目黒 ゴン太

 9月23日、この日は、勤労感謝日であり、日本は休日であった。この日は、水曜日であり、自分の地域は、燃えないゴミの日である。そして燃えないゴミの日というのは、一週間に一度しかないのだが、休日であったこの週は、回収がお休みだった。

 こうした訳で、ウチには、2週間分の燃えないゴミが、タマッテしまったのだ。ちょっとした小山の様になってしまったのだ。自分は、次の水曜日が、待ち遠しくなってしまう程であった。そして、ついに来た、その日に集積所に行って、ビックリしてしまう。そこには、周囲の人々も、やはり、タメにタメていた2週間分が、あった訳で、自分の背丈程まで積み上げられたゴミの山々が、そこに在った。その量に驚きつつ、両手に抱えきれなかった残りを、家に取りに帰る途中、急に、恐ろしくなった。それは、「東京は、いつかゴミに埋まってしまうでしょう。」と、何かのニュース番組で、昔、昔に専門家の様な人々が、行っていたことを、思い出したのだ。その時は、「んな、バカな、大袈裟なんだなあ」等と、まるで、真剣に聞いいなかったのだが、突然、ゴミの山に埋もれる、自分と自分の家族の姿まで、想像できてしまったのだ。

 今まで、高をくくっていたゴミ問題が、急に現実味を帯びて来てしまったのだが、世間では、資源不足になる危機について、ゴミについての改善の動きが、普及してきている。様々な場所において、用途、種類別の、再利用目的の為の、回収の場が設けられるようになり、スーパーや、弁当屋さん等での紙袋の節約等に至るまで、対策が打ち出されている。しかし、そうした動きがあるにも関らず、つい先日までの自分の様な意識の者も多い筈である。少なくとも、真剣にゴミに関して考えている者など、自分の周りにはいない。しかし、資源不足、過剰な廃棄物の量による危機について、そろそろ、本当に本腰を入れて考えてゆくべきだろう。いくら、家庭廃棄物の量が、事業系廃棄物の3分の一以下であるからと言って、責任転嫁するべきでない。これは一人一人が意識を変えてゆくことであり、それをしない限り、いずれそのツケが返ってくることになるからだ。

 

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