2009年(平成21年)10月10日号

No.446

銀座一丁目新聞

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追悼録(362)

井上ひさしの「組曲虐殺」をみる

 井上ひさしが小林多喜二を描いた、こまつ座の「組曲虐殺」をみる(10月5日・天王洲銀河劇場・東京公演は10月25日まで)。幕開けは全員の「代用パン」の合唱で始まる。少年が歌う「代用パンは安いんだ/だれもが買えるはずなんだ/貧しい人にも買えるのに/売れ残るのはなぜなんだ」お芝居はその「なぜ」を追求する。文学者多喜二が3時間に及ぶ拷問に耐え死を恐れなかったのかの疑問に挑む。キーワードは「なぜだ」である。
 少年・小林多喜二は4歳の時、秋田から小樽でパン屋を営む伯父に引き取られて小樽商業学校に通う。少年「そうか/だれかが貧乏な人だちから/代用パンを買うカネを/くすねているんだな」
 小樽高商に進学、卒業後、北海道拓殖銀行に就職、在学中から創作に親しみ昭和3年、特高のすさまじい拷問をリアルに描いた「1928年3月15日」で一躍名を上げる。
 多喜二が特高に目をつけられ、虐殺される遠因である。昭和5年には「蟹工船」を発表する。「蟹工船」は昨年から若者の間でブームとなった。高校2年生の孫が今年の1月、我が家の書棚からこの本を見つけて持っていた。読後感をまだ聞いていない。現在よくこの本が読まれるのは、現代の格差社会、貧困世帯の増加、失業率の増大が背景にある。
 お芝居の時代は昭和5年5月下旬から昭和8年2月下旬までと設定されている。この時代,農村恐慌で娘の身売りがはやる。多喜二(井上芳雄)は大正13年、小樽のヤマキ屋という銘酒屋で身売りされて酌婦をしていた田口滝子(石原さとみ)と知り合う。多喜二の初恋の人である。恋人に言う言葉は「自分を卑下しない」であった。生糸が暴落、東北地方で冷害が起きる。失業者32万2千人を数える(昭和5年・人口6444万人余)。現代とよく似ている。
 多喜二につきまとうのは特高刑事古橋鉄雄(山本竜二)と同、山本正(山崎一)である。古橋刑事は「神戸の組合みなごろし」の異名を持つ鬼刑事である。カンパを渡した相手の名前をはけと多喜二に迫る。さらに地下に潜った隠れ家まで追求してくる。多喜二は同志であり妻の伊藤ふじ子(神野三鈴)と変装して間一髪、逃げるシ―ンも出てくる。
 女心はまことに悲しい。杉並の多喜二の住まいに姉佐藤チマ(高畑淳子)と滝子が訪ねてくる。多喜二が「ふじ子」「ふじ子」というのを滝子が聞きとがめる。「私も滝子、滝子と言われてみたい」と泣きべそをかく。ふじ子はやさしく滝子の肩を抱いて「多喜二さんの初めて愛した人は滝子さんよ」と慰める。ほろりとさせられる。
 二人の特高刑事は麻布十番果物店「山中屋」パーラーでもチャップリンに変装した多喜二が按摩にふんした姉チマ、ウエイトレスのふじ子と滝子と再会するのを突き止めたまでは良かったがここでも取り逃がしてしまう。二人は飛ばされて都内の交番勤務となる。多喜二が捕まったのは昭和8年2月22日、築地警察署に連行され拷問の末死んだ。ときに多喜二は29歳4ヶ月であった。交番勤務の山本巡査と古橋巡査の口から多喜二の拷問の様子が語られる。舞台ではむごい拷問の場面は出てこない。笑いと涙の中に小曾根真の巧みなピアノ演奏をおり交えて展開してゆく。それでいて拷問のすごさがわかる。多喜二の最後の手紙は「お母さんは身体が悪く、頭も悪いらしいから気をつけて、親切にしてやるといいと思う。じゃ元気で!幸福で!」であったという。3時間余の芝居であった。あっという間に過ぎた。しばらく座席から立てなかった。
 

(柳 路夫)