1998年(平成10年)9月1日(旬刊)

No.50

銀座一丁目新聞

 

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ゴン太の日記帳 (16)

目黒 ゴン太

 中学校2〜3年のころ、友人宅へ行った後、家を帰る度に気付かされることがあった。それは、家の電化製品が、友人達の家よりも。全体的に、機能の面においても、年式にしても、レベルが非常に低いことであった。一つ例を挙げると、他の家は、こぞってサイズの大きいテレビを買い、しかも、一つの家に2〜3台、その上、ビデオ付きといった勢いの中、家と言えば、14 inchのテレビを一家4人で見て、リモコンもなく、もちろん、ビデオ等という便利な代物はなかった。別に家が、そういった主義を取っていたのではなく、多分、自分の両親が、新しい物にうとかったのだと思う。しかし、図らずともそういう環境に育った自分も、どんどん進歩し、便利になっていく物の文化の流れに乗り遅れ、友人達が、必死に金を貯めてハイテク機器を手に入れる姿を見ていても、あまり、興味が沸かない人になっていた。

 だが、そんな時代遅れに気付かず、のほほんと構えていた自分ではあったが、今のご時世、会社に入る時、パソコンを操れるのと、操れないのでは、大きな差がでてくると知り、さすがにあせりを感じ始め、又、インターネット等を通じて、自分の知りたい情報をすぐ取り出せること等に魅力を感じ出し、何より、こうして書いている、「ゴン太の日記帳」を、自分で取り出して、見てみたいと思い、とうとう、パソコンを買う決心をしたのだが…。

 「インターネットで深まる孤独?」(読売新聞夕刊9月30日付)なる、自分の決意に水をさすような、しかし、とても興味深い記事を見つけてしまった。これは、米大学のアンケート調査によって明らかになったものが、インターネット利用によって家族や友人と過ごす時間が減ってしまい、「憂うつ」や「孤独」を訴える度合いが強くなる、というものである。まだ、パソコンを始めてもいないのに心配する必要もないことかもしれないのだが、自分の周囲の人々に聞いてみても、憂うつだとか、孤独を感じるとは言わないにせよ、やはり、「ハマッてしまう」だとか、「寝不足になる」とか「他の手につかなくなる」等と言う回答が返ってきた。自分の性格からして、買って始めてしまえば、自分も同じように、朝から晩まで、画面と向かい合って過ごす姿が、今から目に浮かんでくる。

 ただでさえ、今の生活の中では、自分の思い通りになる時間は少なく、その時間を人とコミュニケートできない時間にしてしまうことは、深く考えずとも、孤独に陥っていくことは目に見えている。そして、このことは、自分だけに言えることではない筈である。いくら、便利であるが、人が人と顔を合わせコミュニケーションを取るという、とても人として基本的なものを削ってまで、必要性はあるのだろうか。進歩し続ける文明の中においても、自分の生活の基本的スタイルは守り続けるべきであり、その上で、活用できるのを適度に取り入れるべきだと思う。自分は、今、数多くあるパソコンやインターネット関連の授業や、民間の学校の中に、パソコンの使い方の他に、パソコンとどう付き合ってゆくべきかを教えるものも必要に思う。又、個人的には、生きていく為に必要な情報は、パソコンがなくとも、昔、ウチに有った14 inchの小さなテレビや新聞さえあれば、充分であり、そのくらいの文明のレベルで落ち着いていた時代が、一番人にとって適度であったのだろうと思ってしまうのだ。

 

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