2007年(平成19年)11月1日号

No.376

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花ある風景(291)

並木 徹

川崎市合唱連盟「アニモ」の演奏会を聴く

 友人霜田昭治君に誘われて川崎市の合唱団「アニモ」の定期演奏会を聴く(10月28日・ミューザ川崎シンフォニーホール)。曲目はベートヴェンの「荘厳ミサ曲」二長調作品123。この日の主役はなんといっても市民合唱団。会場はほぼ満席であった。「アニモ」とはスペイン語で「頑張れ」という意味。ソプラノ51人、アルト49人、テノール14人、バス14人。アルトに星野信子さんがいる。友人星野利勝君(川崎市幸区在住・小児科医)の夫人である。9年前に結成されたというが堀俊輔指揮する東京交響楽団とともにソプラノ佐竹由美・メゾソプラノ竹本節子・テノール吉田浩之・バリトン三原剛が高らかに神への賛美を歌い上げる合唱は私の胸に深くしみ込んだ。
 この「荘厳ミサ曲」は弟子でパトロンであったルードルフ大公(皇帝フランツ2世の末弟)が大司教に就任されたので、その就任儀式の「ミサ曲」のために作られたものであった。作曲は就任式には間に合わなかった。完成したのは儀式の2年半後であった。時に53歳であった。反逆精神が強く、正義感豊かなベートヴェンにこんなエピソードが残されている。1819年(江戸時代11代徳川家斉)ころベートヴェンは「キリストだって十字架に架けられたユダヤ人にすぎない」と放言して警察官に尾行されたという。当時の腐敗した宗教に強い反感と義憤を感じていたといわれる。ミサ曲は教会のための音楽という枠を大きく出 てしまった。人間的でありヒューマニストであったベートヴェンのしからしむるところであろうか。
 「荘厳ミサ曲」は五つからなる。霜田君がそれを解説した資料を手渡してくれた。@、キリエ(あわれみの賛歌)U、グロリア(栄光の賛歌)V、クレド(信条)W、サンクトゥス(感謝の賛歌)X、アニュス・デイ(平和の賛歌)である。アニュス・デイがこのミサ曲の集大成の意味があるのであろうか、心に一番響いた。調べは緩やかに始まる。バス(三原剛)の独唱・男声合唱・4部合唱「神の子羊、世の罪を除きたもう主よ」「われらをあわれみたまえ」「神の子羊。世の罪を除きたもう主よ」「われらを憐れみたまえ」「神の子羊.世の罪を除きたもう主よ」やがて快活な調べとなる。「われらに平安を与えたまえ」合唱、ソプラノ(佐竹由美)の独唱。佐竹さんの声に聴きほれる。4重合唱・合唱で終わる。やがてテンポが速くなる。「神の子羊、世の罪を除きたもう主よ」「われらに平安をあたえたまえ」「 アニモ」の合唱は最高潮に達する。目をつぶって聞いていた私にはそう感じた。それは平和への祈りであった。「DONA NOBIS PACEM」平和をあたえたまえを繰り返しながら荘厳のうちに終わる。
 戦争中星野利勝君は航空士官学校の士官候補生であった。「母親といえども女性からの手紙はご法度というので母親が中学生の弟と大学生の従弟を連れて面会に来てくれた。持参した手づくりの海苔巻を食べてとりとめのない話をして、あっと今に面会時間が終わった。ほんの10数分の面会に川崎から一日がかりで来てくれたのは、息子に会えるうちに会っておこうという気にかられたのでなかろうか」と仲間の会報誌に戦時中の母親の思い出を書いている。戦後62年、平和のありがたみがよくわかる。
 「DONA NOBIS PACEM]と叫ばざるを得ない。川崎市民合唱団には「アニモ」と言いたい。

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