2005年(平成17年)7月20日号

No.294

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花ある風景(208)

並木 徹

話を聞いて思い描く大切さ
 

 同台経済懇話会主催で落語家、三遊亭円窓師匠の講演と落語「ぞろぞろ」を聴く(7月13日・東京・アルカデア市ヶ谷)。参加者130人。子供は読み書きソロバンの前に、人の話を聞いて思い描く事がその成長にとって大切であると説く。テレビばかり見ていると、思い描けないからすぐキレル子供になってしまうという話には説得力があった。円窓師匠の注文で普通の演台のわきに高さ150センチほどの高座をしつらえ新しい座布団の上で小学校4年生の国語教科書に採用されている落語「ぞろぞろ」を演じた。後ろのお客が円窓師匠の所作が見やすいようにという配慮からである。何れも80歳も超えたお客様だが、かっては三軍を叱咤ったし、あるいは夢を見、戦後は経済界の第一線で活躍した人たちである。背筋をピーンと伸ばしてして聞き、円窓の話す落ちにもすぐ反応する様子を見て円窓も声を張り上げて熱演する。落語は明治20年ごろから盛んになったと言う。小島貞ニ編「落語三百年」―明治大正の巻(毎日新聞刊)によると、明治19年には落語家は782人を数える。寄席は162軒(明治10年12月)、木戸銭は4銭であった。
 円窓の名を聞いたのは2年前の2月、英文学者、小田島雄志さんが文化功労者になったお祝いの席であった。小田島さんの話では、円窓がベニスの商人を題材とした「胸の肉」という落語を創作するにあたって小田島さんの名訳を借用したいと手紙がきた。そこで「本を買っていただいたので著作権料はいりません」と返事を出したという。この時、初めて円窓の名前を知り、熱心な落語家がいるものだと感心した。落語「胸の肉」は医者が金貸しから「返済なき場合には胸の肉を五百匁をいただきますよ」という証文を作って借りたお金10両をめぐり名奉行大岡越前守がさばく話である。これもいつかは聞いてみたい。
 5月に浅草の演芸ホールで落語を聞いた。その際、ある落語家が昨今は御祝儀が少なくなったと嘆いていた。それを思い出したので常任幹事の野地二見君に聞くと「さしあげた」という。それに当日の座布団は、わざわざ日本橋の西川に注文して、当日間に合わせたという特製のもので終了後は師匠に謹呈した。さすがに苦労人である。だから「どうだい(同台)経済懇話会」というのである。

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