2005年(平成17年)7月1日号

No.292

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追悼録(207)

靖国境内にパール博士の顕彰碑立つ

 靖国神社境内に建立された東京裁判で無罪を主張したインド代表判事、ラダ・ビノード・パール博士の顕彰碑に手を合わせる(6月27日)。場所は靖国会館と遊就館が並ぶ広場、「母子像」と「護国 海防艦」の碑の間にある。顕彰碑は高さ2.1メートル幅1.8メートル。パール博士の上半身を写した陶板が埋め込まれている。その左側に判決の一文がある。「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには/また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには/そのときこそ、正義の女神は/その秤を平衡に保ちながら/過去の賞罰の多くに/そのところを変えることを要求するだろう」その下に碑の建立者である靖国神社宮司南部利昭さんのパール博士を称える「頌」がある。小泉純一郎首相の靖国参拝を巡りいわゆる「A級戦犯」の合祀が問題になる中、境内にパール博士の顕彰碑を建てる意義はきわめて大きい。南部家45代の当主南部新宮司ならではの決断であろう。42代南部利祥さんは日露戦争に騎兵中尉として従軍、明治38年3月4日満州井口嶺の激戦で24歳の若さで戦死、靖国神社に祀られている。昨年9月南部さんは宮司就任に当たり、天皇、皇后両陛下から「靖国神社のお守りをよろしくお願いします」というお言葉を頂いていると聞く。6月25日行われた碑除幕清祓祭の祝詞には『連合国11カ国が苛も我国に執行ひし極東軍事裁判なる国際的に不法なる裁を法律学者として或は人として条理を尽くし国際法に照し「日本無罪論」を以ちて法の真理を天下に説き明らめし印度国代表判事故ラダ・ピノード・パール博士の遺し給ひし高く尊き功績と偉はしき御名を永遠に語り継がむ・・・』とある。パール博士は裁判官の中でただ一人の国際法学者としてこの裁判を認めることも許すことも出来なかった。裁判自体が『法の真理』を破壊するものであり、法の名を借りて戦勝国が敗戦国を裁く復讐劇に他ならないと見たからである。これが世界の東京裁判に対する正しい認識である。それなのにいまだにこれを認めない日本人が少なくないのは残念である。当時の連合国最高司令官であったマッカサー元帥ですら裁判が終わって1年半後、ウエーキ島でトルーマン大統領に『東京裁判は間違いであった』と告白している。今回建立に協力したのはNPO法人「理想を考える会」で、同会として発足間もなく実に有意義な事業をした。理事長の羽山昇さんは「歴史に対する自逆的風潮などの根源は東京裁判に有り、その問題性を見直すきっかけになれば良いと思います」と挨拶した(6月26日産経新聞)。
 パール博士の顕彰碑はすでに平成9年11月、京都霊山護国神社に建てられている。靖国神社の顕彰碑は同じ胸状である。京都の顕彰碑建立に尽力した同台経済懇話会会の常任幹事、野地二見さんは「京都に顕彰碑を建立の際、東京にもと思い、パール博士の上半身を写した陶板を二つこしらえた。場所は靖国神社か東京都内の公園の敷地内と考えていた。靖国神社に建つとは望外の喜びである」といっている。

(柳 路夫)

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