2005年(平成17年)7月1日号

No.292

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
自省抄
北海道物語
お耳を拝借
山と私
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

自省抄(34)

池上三重子

    5月26日(旧暦4月19日)木曜日 快晴

 今暁三時の月のありがたさ、首をよじれば真横の位置に。「あらっ、お月様」と心が歓喜の声なき声をあげた。これまで月光は部屋の一部、カーテンをあけている分だけ射しはするけれど、月本体は人の指さす彼方だったのにと、歓び屋は面目躍如のよろこびよう。母なら床の上に寝巻の胸元を正して合掌するに相違ないと、目裏に浮かべてみるのだった。 明恵上人よ、あなたのお歌が顕ちました。お姿も無論です。
  あかあかや あかあかあかや あかあかや
  あかあかあかや あかあかや月
 樹上座禅像の上人は月礼讚の明澄な歌をささげられたが、私は先日、熱暑に蒸され背中たえがたく、この歌をちょっと拝借してから室温のスイッチ切り替えをたのんだものだ。  暑や暑や 暑々々や 暑々や
  暑々々や 暑々や暑
 相当な激情家らしい私が生来の激情を抑制しつつ生き経て八十一年目。いとしやいとおしや私よ、よく存えてきたなあ。おもえば私の生の昨今の恵まれよ。ありがたいなあ、何度くり返しても尽きぬ感恩のつぶやきよ。発病このかた、様々の変遷を経ねば到り着けなかったところ。永寿園は私の終の栖! 愛しやまないやすらいどころ!「自省抄」と称してその日その時の心象を、思いを考えを記す事を恕されてあるのだから。拝受の恩寵よ。  個室をいただいて
  心のぞむままに
  体のぞむままに
  避暑の安臥とは
  恕されてある生よ
  ゆるされてある私よ
  役の行者を仙境から落っことす下界の美女じゃないけれど
  下生下凡の床上にょにんに過ぎないけど
  ここ今の私は思い出すのだ
  床上寝菩薩とも仰臥観世音ぼさつとも
  書き送り下さった小椋正人先生を
  人形峠の気骨の先生を
  偽悪的ともおもえる先生だった
  その師森信三先生を終生慕い大切にされた先生だった
  馬鹿ばかしいと思うほど生真面目に真摯に仰ぎとおされた
  見事な姿勢だった
  その姿勢は私の心を洗って下さったのだ

  徳永康起先生は
  偽善傾向に映った
実践人同志にむかい恰も私の保護者(?)庇護風の態度をその個人誌に記された
  私は以後交流を辞退した
  先生は四国の石川直先生や先記の境港の小椋先生を通して交流復帰をのぞまれた
  私はうなずかなかった
  今おもえば無礼欠礼の姿勢だった
  ごめんなさい
  徳永康起先生!
  小椋正人先生!
  しかし私は自分の両先生それぞれへの姿勢を訂正する気持ちは毛頭ない
  なぜならその時の、そして現在の私はそのとおりの私なのだから
  徳永康起先生
  先生の善意・好意に深謝です
  でも私は因らば大樹の蔭を望みえない人間です
  自から湧く思慕こそが師であり先輩であり友なのです
  思慕の内包するものは大小濃密の千差万別です
  宗教人では明恵上人です
  なぜなら馬を洗っている男が馬に「あしあし」と言うのを「阿字阿字」と聴き留めら  れ、どなたの馬かとの問いに「不生殿」と応えたのを「不生仏」と聴かれ感嘆された  のですから
釈迦への帰依の証に片耳切り落とすその純無垢さは絶対ですものね

 母よ!
 昨夜の夢見に、私がまたうら若い乙女子に逆戻りしていた場面に刺戟されてか、もう一ぺん地球に真っ直ぐ立ってみたい、としきりに寝覚めて思い、その手段として日野原重明氏に相談の手紙をと考えた程でした。無謀で無茶、荒唐無稽の狂人と笑われるのが落ちと醒めましたが、それは本当に真剣な真摯な、わきあがる生命の意志でした。
 手術に要する金銭なし、あまた前後に要するであろうそれも無し。まして八十一媼では正気の沙汰とは思われまい、と思っても、くり返しおもっても尚、断ちがたい願望のひとときでした。これだけのエネルギーを生命の意志として認めてくれる人が、一人ぐらい居るのではとも。
 半世紀の床上生活を余儀なくされた私の、「役に立ちたい、社会還元をかたちにしたい!」という、いとおしい復帰意志です。

 今日は月末恒例の誕生会。中食の茶碗蒸しと、野菜と鶏肉の天ぷらとデザートの梅酒ゼリーはおいしかったなあ。
 今日も恵まれた佳き日でした、ほんとうに佳き日でした。
 夢見にお待ち致します。すてきな男性の登場など全然望まないのに、現れればまた楽しの夢見となります。敬愛惜しまぬお母さん、では重ねてお待ちを申しつつ。



このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts.co.jp