2005年(平成17年)7月1日号

No.292

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
自省抄
北海道物語
お耳を拝借
山と私
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

北海道物語
(9)

「DMV登場」

−宮崎 徹−

 JR北海道が線路と道路との両方を走行できる新型車両DMV(デュアル・モード・ビークル)を来年秋からの予定で運行を始める方針を発表した。
 連想しては英霊に不謹慎となるのを惧れるが、このたび両陛下が慰霊のために御訪問なされたサイパン島は日米戦争の天王山だった。この時米軍が上陸時に使った水陸両用戦車(アリゲーター)は、輸送船から乗り換える米軍をその隙に攻撃しようとする日本軍の戦術を無効にする威力があった。鉄道と道路の両方を乗り換えての手間なくすいすい走るDMVは、北海道の交通・観光のために新しい戦力になる気がする。
 昭和五十六年当時四千粁あった北海道の国鉄線は、六十二年四月JR北海道に変わった時は二千六百粁となっていた。北海道の開発のため大きな役割を果たした鉄道も、財政の再建のため行政改革審議会が定めた国鉄改革の大きな流れの中で民営化した。もっともその前から炭鉱の閉山等で、貨物、旅客の輸送が減退した路線も有り、一方急速にモータリゼーションが進行した。しかし本州と違って、明治の北海道は道を造って人が住んで部落が出来、そこに鉄道が敷かれて村になったという歴史がある。人口の減少で廃線になったり、駅舎がなくなるといっても、そこで生まれ育って老いた人が村を離れず淋しい人生を終わることになるのは、古き良き国鉄のDNAを受けついだJR北海道としては、きっと耐えられない気持ちなのだろう。全国にさきがけて赤字ローカル線対策としてDMVの開発と運行を決定したことと、北海道の人々は喜んでいる。
 マイクロバスを改造しタイヤのほか列車用の鉄輪も出し入れする形で、定員は二十八人と少ないが、連結すれば四十人となる。ちなみに大正二年京王電軌鉄道が笹塚と調布の間を走らせた電車は四十四人乗りだった。西武・小田急の開通はその後である。
 北海道の明治初期は海岸沿岸にしか道らしいものは無く、函館から森まではの道と、森から室蘭は船、室蘭から札幌まで道の「札幌本道」は、ケプロンの建策で開拓使が作った。その後、札幌−岩見沢−旭川(上川)の「上川道路」。旭川−北見−網走の「北見道路」と延長してゆき、これによって旭川を始め内陸部が開発された。北のロシアからの圧力に対して国防を考える内陸の中央道路だったと云う。
 鉄道は最初、幌内炭鉱(三笠市)を始め各鉱山の採掘する石炭輸送のために民営の北海道炭鉱鉄道株式会社を設立。民間資本による開発を計って来たが、日露戦争が終了すると鉄道国有法によって国有とした。国有になると鉄道は町の住民の為の鉄道となり、各地で住民挙げての鉄道期成会が結成され、全道に鉄道網が拡がっていった。旭川までは明治三十一年空知太(現在の滝川)から北海道庁鉄道部によって開通した。空知太までは既に北海道炭鉱鉄道の手で六年前に開通して居た。旭川は師団建設の為早まったのだろう。そして此の三十一年が旭川のまちづくりの輝かしい第一ページとなった。住民は狂喜乱舞したと云う。
 それから百余年。北海道も、旭川も、鉄道も変わったが、これからの時代のDMVの役割を展望して見たいと思う。
 本来の開発の目的は赤字ローカル線対策である。国道からそれて立派な農道を行くと、朽ちた農家や二、三軒の家が寂しく建って居る。今後はそういう村落が増えるだろう。新幹線の札幌乗り入れが実現すれば、停車しない駅が多くなるので寂しくなるところも出てくる。DMVの活躍の場が増えてくることだろう。
 空港と街を結ぶアクセスの利便性向上の狙いも有るという。旭川でも二十年前から空港と駅間にモノレールを作れという若い人達の意見がある。何処の空港でもそういう学者や建設業者の意見があるが、現在の乗降客は年百十万人であり、その中には観光地直結の団体もある。東京の浜松町モノレールでさえ当初は赤字だったというから、地方空港にはDMVが適当ではないだろうか。
 北海道でも一極集中が進んでいるので、鉄道のダイヤも札幌中心となりつつある。嘗ては、旭川から釧路に行くときは富良野線を経由して根室本線を使ったが、今は時刻を選べば、札幌まで行って根室本線に乗れる方が、車両も快適で早い。すべての道はローマではなく札幌に通じて行く。それも悪くはないが、今後の来道者は、新幹線が出来ても航空機の利用が多いだろう。今後増加する観光者にとっては、空港発DMVによる観光コースが便利になる。旭川や女満別空港は最も利用価値が高くなるだろう。今までになかった新しい観光ラインが登場することも期待できる。
 北海道は、戦後六十年間、樺太もなく千島もないままの北海道開発庁の下で技術の粋を蒐めて、道内での道路やトンネルを造って来た。阿寒横断道路は昭和の初めに観光道路として造られていたが、その後多くの観光道路が完成されつつある。DMVが北海道の道路技術と鉄道技術を駆使して、二つのインフラを活用して走れば、北海道の魅力は更に増すだろう。此の頃の地球 気象の乱調や原油の暴騰などを考えると北海道の地理的条件は日本にとって極めて恵まれている。多くの日本人が、夏の憩いと安らぎが得られる地域として、更に利用してゆくことになるだろう。DNVの発展には、特別の思いと期待を寄せている。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts.co.jp