2005年(平成17年)2月10日号

No.278

銀座一丁目新聞

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花ある風景(192)

並木 徹

百歳も間近となりぬ初日の出 (後藤四郎)

 日本陸軍が生んだ傑物の一人、後藤四郎さん(陸士41期)が亡くなった(1月20日)。享年97歳であった。昨年10月24日、東京で開かれた「みはた会」(昭和20年7月編成された321連隊を中心とする戦友の会)でお会いしたのが最後となった。今にして思えば、長崎から車椅子で出席された後藤さんは相変わらず口は達者であったが・・・それとなくみんなに別れを告げるつもりであったのであろう。今年頂いた賀状には「百歳も間近となりぬ初日の出」とあった。
 後藤さんとの出会いは昭和54年夏である。「貴公が陸士出身と聞いて頼みにきた。今年任官50年に当たるので、この原稿を自費出版したい」と同期生を連れて毎日新聞の出版局にこられた。陸士41期生は昭和4年7月239名が卒業、少尉に任官している(現在生存者5名)。原稿は一晩で一気呵成に読んだ。翌日後藤さんに返事をした。「この原稿は面白いので自費出版でなく、毎日新聞で出版させてください」。これがベストセラーになった「へんこつ隊長物語」である。
 初対面の際、一緒にこられた同期生がかなり年配に見えるのに、後藤さんはどうみても50台にしか見えない。54歳であった私より若く感じられた。そこで健康の秘訣を聞いた。
 1、敬神。 朝必ず神棚に向ってみことのりを唱え、お参りをする。北九州市の私のマンションに泊まられた際にもベランダで東の方をみて声高らかに唱えられた。
 2、努力。ご飯が食べられるよう経営努力をする。働ける間は働けということである。建築材料のベストンの会社を長い間経営されていた。
 3、浮気。文字通りである。邪心があってはいけないと私を戒められた。
 4、楽天。くよくよしてはいけない。どのような苦境に立たされても笑顔を忘れないこと。
 敵襲のさい、部下は必ず指揮官の顔をみる。心の中はともかく、悠然と構える。何食わぬ顔して煙草をすえるぐらいでないといけない。「ニコニコニッコリ笑顔で感謝しましょう」ともいっていた。だから私はこの健康法に「高い志」と「感謝」と「前向きに生きる」を付加して120歳まで生きると高言している。俳号は悠々とつけた。
 考えて見れば、54歳から私の人生観が変わった。しかも昭和56年6月から北九州市に転勤、7年半も厄介になった。長崎に住む後藤さんと会う機会が多くなった。天の配剤というほかない。後藤さんの傑物ぶりは平成3年7月に毎日新聞から出た「軍令違反 軍旗ハ焼カズ」に詳しい。陸士49期で陸士時代恩賜の軍刀組であった小林一男さん(故人)は「軍隊の実務における優秀者というなら、後藤さんは恩賜の軍刀を与えられるべきだと思います」と激賞する。今後も機会あるごとに後藤さんの事に触れていきたいと思う。

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