2004年(平成16年)12月10日号

No.272

銀座一丁目新聞

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自省抄(14)

池上三重子

  8月20日(旧暦7月5日)金曜日 快晴

 八時頃、あれッと聞こえたのはやっぱり熊蝉の声。場所を移して九時十五分ただ今は桜並木の辺り。盛夏の大合唱の威勢も時間も随分の違いで、一葉落ちてて天下の秋を知るなどと頭をよぎるのだが初秋・晩夏の観は如実よ。
 ワーシワシワシがジユージユジユと聞こえるのは、私の耳のせいだけではないかも知れぬ。昨夜は両開三人組の二人だけ来室。初ちゃんは金曜に毎週きているから誘いませんでしたよ、と。イチジクと巨峰入りの函をどっさりと降ろした。
 廊下から賑やかにやって来るから声が先着の良ちゃん。初ちゃんと会食約束と帰っていったが食介中の古賀かおる士いきなりご馳走はとお膳の品々に目を走らせ私にその目と声のはしゃぎを移すのを、にこにこと聞く。
 還暦すぎて間もない教え子の子らも、介護士の二十代前半の初々しい乙女のかおるちゃんも、私は可愛くてならぬ存在。二人ともにお子らにはそのお子誕生。私の望む末広がりばっちりの現実は言うことなし。
 私は末期の目ならぬ死後の異界からの目よ。朝食直後、夜勤さんサブの石井知佳士に胸上のセット、こうしてペンを執っている心の充足感は一日の出発。入浴迎えるまで・・・。
 
 恒例の来室十六日前後の妙子先輩! 今日もお出でがない。正面額の中は紫紺涼しい朝顔の水墨に千代女の句の賛の色紙のまま・・・。
 まだ冷房全館のそれでも室温二十八度の三時十分。しかし大阪の畠山洋子ちゃんからの便りにコオロギを見たと。小さい秋見つけたは、足早に仲秋へむかっているというのか季よ。
 仲秋といえば菱名月!
 彼の月は豆名月!
 母よ!
 季節それぞれを、あなたは「何でん無かが一番良か」と言いながら、律義に几帳面にお供物を作られ仏前、神前、家族に、親類や縁者に。
 今日の私は妙子先生のお身の安否に心とらわれて鬱状。つくづく脆弱の実感。昨夜のお子ら良ちゃん、サダちゃんの来室の賑やかさも、持参のイチジクと巨峰の披露と賞味の嬉しさも、すっかり影をそめて、もやもやいらいらに占拠されているとは?
 和歌子士は先日、武下洋子ちゃん整理の書名を書棚の前に構えて記帳中。今月中にと自発の言葉を果たそうとの気持がありがたい。私はそのうちにと急く気のないのが不思議な程だが、最近急速なおとろえを自覚する視力に左右されているようである。
 職員の退職は痛い。
 殊にも武下洋子士という信頼度再考の介護士の喪失観は大きかった。空虚の感じはまだまだぽっかりが本音らしい現状。和歌子士もついで愛惜・・・。 
 彼女は距離的に無理と思い、口にもしてきた。
 殊に雨に風に雪にと芯から胸痛めてきたと言うのに、解放されて距離半分の施設に勤務再会というのに今日の私は何たることよ。
 思いやりなど吹っ飛んで、これに執着あれに執着の体たらく。アウレリウスよ!古代ローマの帝王よ!あなたを暗く呼ぶ声はいつもと違って暗い。とおい・・・距離感よ。
 自分自身にこころ密着すればこの通り思念も狭い。小さく萎縮してしまうのだ。私よ!どうしたらいい?弾び心よ!いつ還ってくれる?
 母よ!
 配膳の音が、配膳のエレベーターから取り出す音が聞こえます。
 五時半、といって和歌子士は書棚から離れて廊下へ。ありがとう和歌子ちゃん。ああよかった、「ちゃん」が出てきた。密閉の心門?心室が幾分か開いたようです。
 おなかはお昼の一品だけなのに空きません。ウツが胃を占宥したのでしょう。私の主食は二度炊きのようなものですが、お清汁掛けで啜りましょう。昼と夕の食事は毎日そうですが、今夕は飢じくなくても二、三匙はぜひとも口に! 蓐瘡(註・長い間病人が床に伏せていると皮膚が圧せられて出きるくずれかかったできもの)予防にはこれしかないんだよ!
 母よ!
今夜も夢見にお待ちしますね・・・



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